設立40周年記念寄稿⑥
2014年に40回目の放送文化基金賞を迎え、番組部門のテレビドキュメンタリー番組、テレビドラマ番組、テレビエンターテインメント番組、 ラジオ番組、そして個人・グループ部門の放送文化、放送技術の6名の委員長に各部門の10年を振り返っていただきました。
金田一 秀穂 委員長
ラジオ番組の審査をするようになっても、ふだんのラジオを聴く態度はあまり変わらない。
車の運転をしながら聞いているときは、交通ニュースが何よりも知りたい情報である。国会の議決や殺人事件の捜査より、どの場所で事故があって、どの道が渋滞しているかのほうが、ずっと重要なものになる。ハンドルを握っているそのときの自分の行為とラジオが伝える情報とが直接結びついていて、次の交差点で曲がるべきかまっすぐ行くべきかの判断を決定づける。こんなに身近なことを極めて適切に教えてくれるメディアはあまりない。しかもその時点で得た情報は、一時間も過ぎたら、忘れ去ってよい知識になってしまう。天気予報よりも、情報鮮度の足が速い。速報性、同時性というか、臨場性というか、ラジオの一番の特性は、これである。私は幸いにもそのありがたみを感じたことがないけれど、災害時のラジオの極めて重要な役割は言うまでもない。
運転しながら聴く、仕事しながら聴く、勉強しながら聴く、そのようなナガラ聴取が、ラジオの二番目の特性だろう。そこで流れている音楽は、特に聞かなくてもいい。そこでのおしゃべりは、熱心に拝聴していなくてもいい。やるべきことは運転という仕事だったり、家事という義務労働だったりする。そうして、たいていの仕事は実は片手間で出来てしまうものなのではないか。そのように言うと不真面目であると怒られるかもしれないのだが、ルーティンワークとして、集中力を必要とされない仕事が世の中にはたくさんある。人はロボットではない。こころを持っている。何もせずに単調な仕事だけをしろというのは、拷問に近いものになる。仕事をしながら気持ちのうるおいを求める時、ラジオはたいへんありがたい装置になる。大げさになるけれど、わたしたちが機械ではなく人間であることを証する行為として、ラジオのナガラ聴取があると言えるかもしれない。
さて、ラジオ番組の審査という場面では、このラジオの二つの特性は見事に欠落する。番組を聴くのは快適なオフィスの一室。上質のスピーカーから流される番組を、一点集中的に聞く。番組制作にかかわった人々の名前や企画の意図が書かれた資料を読む。そうして終わるごとに忘れずにその評を記す。これはどう考えても、ラジオを聴くふつうの態度ではない。そのことを気にしながら、しかし、気付いたことがある。ここで審査されるのは、そこで流される人間の声、人間の言葉。それがラジオを形作っている要素なのだ。
私たちは言葉を文字で追ってしまう。あるいは、言葉ではなくそれを発している表情で判断する。しかし、ラジオはその言葉を運ぶ声を、きちんと伝えてくれる。その言葉が本当のことなのか、おざなりなことなのかは、それを発した声によって、すぐにわかってしまう。声の持つ力をこんなにも感じさせるメディアはない。当事者の声による言葉は重い。真実を語っている言葉は、その声によって判断される。
素晴らしいラジオ放送は、言葉を伝える声の力にかかっているのではないか。短い審査経験だが、そのようなことを考えている。