HBF 公益財団法人 放送文化基金

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助成

研究報告会 2012

放送文化基金は、これまでに助成したプロジェクトの成果を発表する場として、
助成金贈呈式とあわせて研究報告会を開催しています。

 放送文化基金の平成23年度の助成対象が決まり2012(平成24)年3月2日、東京・平河町の海運クラブで助成贈呈式が開催されました。贈呈式は、第1部研究報告会、第2部助成目録贈呈、そして懇親会の3部構成で行なわれました。
 第1部の研究報告会では、前年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、基金が委託研究として助成した災害放送に関する2件のプロジェクトから報告がありました。
 まず、日本災害情報学会デジタル放送研究会の代表 藤吉洋一郎さんが「検証“東日本大震災”命を救う情報をどう伝えたか~地震発生から1時間~」を報告。東日本大震災が発生して1時間の初動期において、人々の命を救うために避難を促す情報はどのように流れたのか、放送その他のメディアは、それをどのように伝えたのか、その情報がいかに機能したのかなどの調査結果が報告されました。
 次に、「東日本大震災とメディア」研究会の代表 丹羽美之さんと市村元さんが、震災後に次々と立ち上がった地域・期間限定のラジオ局「臨時災害放送局」を調査し、地域の生活情報、防災情報などをどのように伝えたのか、現状と課題を報告しました。
 地震直後の生死を分ける情報、そしてその後に必要となる地域限定の生活情報や支援情報というそれぞれに重要な二つの情報を通して、大災害とメディアの役割について考える機会になった研究報告でした。

委託研究①

検証 "東日本大震災"命を救う情報をどう伝えたか ~地震発生から1時間~
日本災害情報学会 デジタル放送研究会 代表 藤吉洋一郎

 地震発生のおよそ30分後には三陸の沿岸部に10m前後に達した大津波が押し寄せ、その後の30分には大津波の到達範囲は宮城県を経て、福島県北部にまで拡大していた。本研究会では発生から1時間という震災の初動期に「命を救う情報はどうなっていたのか」に焦点を当て、主として放送がどのように防災・減災に貢献することができたかを明らかにし、今後に役立つ方策をさぐろうとしている。
 17年前の阪神大震災では、地震発生から最初の1時間というもの、メディアは神戸など震源近くの被災状況をなかなか把握することができずに、周辺の比較的軽微な被害情報ばかりを伝えることになって、大きな反省を強いられた。
 今回の東日本大震災では、各テレビ局が配置した海岸のロボットカメラやヘリコプターによる上空からの生中継映像によって、大津波による被災状況は非常に早い段階から、全国に逐一放送されていた。この点では、阪神大震災の経験は生かされ、目覚ましいまでの進歩をとげたといえる。  しかし、テレビやラジオが伝えた情報が、2万人近くの犠牲者の命を救うことにはならなかったのはどうしてだろうか?情報の伝え方に何か問題はなかっただろうか?停電した被災地域でも受信できたメディアという意味で、NHKラジオの発生から1時間の放送記録を見直してみた。
 すると気象庁が午後3時15分ごろに発表した最初の大津波警報の追加情報では、大津波警報の対象範囲を拡大したほかに、予想される津波の高さを宮城県10m以上、岩手県と福島県6mと、それぞれ最初の警報発表の時と比べて2倍にかさ上げしていたのだが、このことが一度もアナウンスされずに終わっていたのである。津波の規模が尋常でないことを人々に知らせるには、大切な情報であったはずなのに、どうしてこのようなことが起きてしまったのだろうか?
 午後3時半まではNHKのラジオにはテレビの音声が流れていたのだが、気象庁が1回目の大津波警報の追加情報を発表した時、すでにNHKのテレビ画面では、岩手県釜石市の港に大津波が到達していることが、ロボットカメラの映像で明らかになっていたうえ、東京のスタジオも折から激しい地震の揺れに襲われていたのである。いずれも急いで伝えたい情報であり、結果として追加情報の中の津波の予想される高さの見直しについては、テレビ画面に表示されてこそいたものの、アナウンスされることは無しに終わったのである。大津波の尋常ではないことを伝えようとした気象庁の意図は、混乱の中で被災地にはうまく届かなかったのである。

委託研究②

「メディアは東日本大震災をどう伝えたか~臨時災害放送局の調査から~」
東日本大震災メディア研究会 代表 丹羽 美之

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、地震・津波・原発事故によって、各地に甚大な被害をもたらし、その影響はいまもなお続いている。これまで「東日本大震災とメディア」研究会(丹羽美之・市村元・小林直毅・林香里・藤田真文)では、放送文化基金の委託を受けて、この未曾有の大震災に放送メディアがどのように向き合い、何をどう伝えたかを検証するプロジェクトを進めてきた。
 これまで経験したことのない大震災にテレビやラジオはどう対応したのか。各地で開設された臨時災害放送局は地域でどんな役割を果たしたのか。原発事故の伝え方に問題はなかったか。外国メディアは震災をどう伝えたか。復旧や復興の過程でメディアに求められる役割とは。このプロジェクトでは、放送局や制作者への聞き取り調査、実際に放送された報道・番組内容の分析を通して、メディアやジャーナリズムが果たした意義や役割、課題や問題点を明らかにすると同時に、将来の災害報道のあり方について提言することを目指している。
 今回の研究報告会では、丹羽がこのプロジェクト全体の概要を紹介した後、市村が「東日本大震災後に生まれた『臨時災害放送局』の現状と課題」と題して、調査の中間報告を行った。東日本大震災では被災地で次々に臨時災害放送局が立ち上がった。その数は全28局にものぼる。電気・ガス・水道・情報などの各種ライフラインが長期間にわたって途絶え、多くの人々が避難生活を余儀なくされるなか、臨時災害放送局はきめ細かい被災状況や安否情報、生活情報や応援メッセージなどを流して、大きな注目を集めた。
 今回の報告会では、臨時災害放送局や自治体への聞き取り調査の結果をもとに、臨時災害放送局の歴史や類型、28局設立の背景、運営上抱えている問題点などについて詳細な報告を行った。臨時災害放送に関しては、東日本大震災を機に認識が大きく広がった一方、今後に向けたいくつかの課題も明らかになったように思う。公的支援の仕組み(災害放送基金など)をいかに構築していくか。放送のノウハウをどう支援していくか。自治体担当者の理解と意識改革をいかに進めていくか。これらは早急に検討すべき課題だろう。
 地震大国と言われる日本で、今後とも臨時災害放送が地域社会で果たすべき役割は大きい。臨時災害放送のよりいっそうの充実に向けて、このプロジェクトでも引き続き調査・研究を行っていく予定である。末筆になるが、こうした報告の機会を与えて頂いたことを深く感謝している。

●研究報告会に参加して

人命と暮らしを守るために
鈴木 嘉一(放送評論家)

 新聞は事件や事故、災害の結果を報道し、テレビは「今、何が起きているのか」と出来事をリアルタイムで伝える。これに対し、ラジオは災害などに遭遇した当事者に向けて、「今すぐ、どんな行動を取ればいいか」と生死を分ける重要な情報を届け、1人でも多くの命を救うことができる。前読売新聞編集委員として藤吉洋一郎・大妻女子大教授の報告を聞き、こうしたメディアの特性と役割の違いを改めて実感した。「一刻も早くラジオの単独放送に戻るべきだった」という検証結果や、「避難の呼びかけはもっと切迫した表現が必要」といった提言は十分うなずける。「人の命と暮らしを守るのは、報道に携わる者の使命」という原点を再確認させられた。


防災報道の重要性を再確認
村木 正顕(ニッポン放送報道部)

 被災地が数百キロに及ぶ“広域災害”となった東日本大震災では、被害の全容把握にも長時間を要したが、地震発生直後の1時間は、まさに津波による大被害が拡大する最中であり、人が生死に直面する最も重要な時間であった。今回の報告会は、その1時間の中での救命放送という非常に大きなテーマであり、個人的にも、放送人として改めて自らを問い直す機会となった。被害状況、避難の呼びかけ、津波警報・余震情報…、伝えるべき内容があまりにも多く、大きい中、報告された事例に“力の限界”を思うとともに、一方では、放送がリアルタイムで動きを伝え得る極めて重要なメディアであることも再確認し、引き続き行われた「臨時災害放送局」の被災者向けの各自治体の放送事例と併せて、防災放送の重要性を改めて認識した次第である。