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各地で行われた制作者フォーラムの模様を、参加者の声を交えて伝えます。

2015年3月26日

全国制作者フォーラム2015~参加者の声~

寄稿

 2015年2月20日(金)、東京で「全国制作者フォーラム2015」を開催しました。開催内容はこちら

 ゲストとしてご出演いただいた、丹羽美之さん(東京大学大学院情報学環准教授)、阿武野勝彦さん(東海テレビ放送プロデューサー)、佐々木健一さん(NHKエデュケーショナルプロデューサー)、松原耕二さん(BS-TBSスペシャル・コレスポンデント)と、参加者の中から、秋塲優歩さん(テレビ埼玉)、柿﨑康さん(NHK秋田放送局)、兼井孝之さん(関西テレビ)、玉井新平さん(高知さんさんテレビ)、濱田和也さん(FBS福岡放送)に、フォーラムに参加しての感想をお寄せいただきました。

ゲスト
自由な交流・対話のきっかけに
丹羽 美之(東京大学大学院情報学環 准教授)

 「『こんな視点があったか…』『自分の住んでいるところでもできそう!』などすぐに活かせるヒントをたくさんいただけました」「ゲストの皆さんの話、目が覚める、目からウロコ、有意義な時間でした」「入社した当時のテレビへの思いをもう一度思い出させて頂きました」―今回のフォーラム参加者から寄せられた言葉である。
 2015年2月20日(金)、ホテルルポール麹町で、「全国制作者フォーラム2015」が開催された。東京での全国フォーラム開催は実に4年ぶりとなるが、今回も若手制作者を中心に、全国から数多くの参加者が集まった。民放やNHK、地域や系列の垣根を越えて、制作者同士が日頃の番組作りについて自由に語り合う貴重な一日となった。
 午前の部は、全国の若手制作者が作った多種多様なミニ番組の視聴・合評会からスタート。夕方ワイド等のなかで放送されるコーナーや特集には番組制作のエッセンスが凝縮されているだけでなく、地域ジャーナリズムのいまが鮮やかに映し出されている。こうした毎日のミニ番組の積み重ねがいかに大切かを改めて実感した。
 午後の部では、阿武野勝彦さん、佐々木健一さん、松原耕二さんをゲストに迎え、番組を見る会・語る会(『ケンボー先生と山田先生』)やパネル・ディスカッション(「テレビの可能性に挑む」)で盛り上がった。番組作りや取材にかける思い、いまのテレビに対する危機感などを率直に語り合った。
 テレビ制作者にいま必要なのはこうした地域や系列の垣根を越えた自由な対話だと思う。たった一日ではあったが、このフォーラムがそうした制作者同士の自由な交流や対話のきっかけになれば嬉しい。

プロフィール
1974年生。法政大学社会学部准教授を経て、2008年より現職。専門はメディア研究、ジャーナリズム研究。著書に「記録映画アーカイブ2 戦後復興から高度成長へ」(共編、東京大学出版会、2014年)、「メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大震災」 (共編、東京大学出版会、2013年)などがある。

ゲスト
<極私的エピソード>で綴る『全国制作者フォーラム』
阿武野 勝彦(東海テレビ放送 プロデューサー)

①ミニ番組を観て、各局の制作者と話した。頭の回転はすばらしいし、取材や編集の技術もあるし、礼儀正しいし、讃えたい気持ちで心が充満した。しかし、大きな視座を持って、地域に根を張って、更に試行錯誤をしてほしいと思う。この放送文化を担い、テレビの可能性を開くのは、フォーラムに集った制作者の一人一人の奮闘にかかっている。

②テレビマンが集まると、制作環境についての会話が、しんどい。「大変でしょ」「そうなんです」「一緒ですね」。まるで、嘆き節が挨拶がわり。優しいオジサンと思われたいので、お付き合いしているが、本当は、こう思っている。想念とは恐ろしいもので、舞台袖で嘆いていることが、ステージ上の表現に滑り込んでしまう。気をつけなきゃ。このフォーラムは、そうした嘆きが、あまり聞こえてこなかった。もしかしたら、悲憤慷慨している場合じゃないほど、現場は厳しいのだろうか…。

③『ケンボー先生と山田先生』の番組タイトルについての質疑応答を聞いていて、ふっと昔がよみがえった。「おっ、きのうの、わかりやすかったよ」。若い頃、ニュース企画や番組を放送した翌日、そんな風に声を掛けられたことだ。「わかりやすい…!?」。褒められているのはわかっているが、どうも喜べなかった。メッセージが相手の心に届かず、あっさり対象化されたと直感したからだ。それから30余年。テレビは「わかりやすさ」に邁進し、私たちはそれが一番大切なことのように考えてきた。しかし、すでに「わかりやすい」「わかる」の激流は、「すぐわかる」「すぐわかりたがる」へと逆巻きはじめている…。

プロフィール
1981年東海テレビ入社。アナウンサーを経てドキュメンタリー制作。主な番組は、『村と戦争』(95・放送文化基金賞優秀賞)『とうちゃんはエジソン』『裁判長のお弁当』(03、07・ギャラクシー大賞) 『約束~日本一のダムが奪うもの~』(07・地方の時代映像祭グランプリ)『光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~』(09・民放連賞最優秀賞)など。個人賞として日本記者クラブ賞(10)、芸術選奨文部科学大臣賞(12)。『平成ジレンマ』(11・モントリオール国際映画祭招待)で劇場展開を始め、第6弾『ホームレス理事長』まで上映している。

ゲスト
作り手の“顔”
佐々木 健一(NHKエデュケーショナル 主任プロデューサー)

 ミニ番組上映前に行われた「一分間のスピーチ」。自らの作品を、自らの言葉で紹介するディレクターの前口上。これがとても印象に残った。
 この日は、全国四地区のミニ番組コンテストで表彰された制作者たちの晴れ舞台。どんな思いでこの日を迎えたのか、その顔つきやファッション、語り口調に作り手の“個性”が滲み出ていた。興味深かったのは、直後に上映された番組のテイストや匂いが、作り手の語りや立ち姿と見事に符号していたことだ。キリッと前を見据え精悍な面持ちの人は、硬派なルポ作品。あえてカジュアルな服装でキメてきた人やこの日のために新調したスーツを電車に置き忘れてしまった話で爆笑を誘った人は、異彩を放つバラエティ作品というように。ことほど左様に、番組には作り手の“個性”が宿るものなのだ。
 翻って、今のテレビ界を見渡すとどうか。多くの番組は複数人による分業制で作られ、前例主義に則ってどれも似たり寄ったりの番組ばかり。作り手の“顔”が見えてこない。
 かつて、テレビ界の諸先輩方は、番組を「作品」と呼ぶことを毛嫌いした。大衆マスメディアであるテレビが、鼻持ちならない独り善がりの作家主義に陥り、視聴者を置き去りにすることへの危惧があった。だが、時が経ち、今では世間から「最近のテレビはどれも画一的、無個性でつまらない」と言われている。むしろ今は、自らの番組を誇りを持って(自分の)「作品」と言えることが大切ではないか。
 この日、壇上に立った作り手は皆、「これを作ったのは自分なんだ」と胸を張っていた。テレビ屋としての趣向が、矜持が、反骨精神が、その佇まいや作品に現れていた。
 上映された十二作品には、十二面の“顔”があった。

プロフィール
2001年NHKエデュケーショナル入社。『にっぽんの現場』『仕事ハッケン伝』などを担当。NHK以外でも『ヒューマン・コード』(フジテレビ)、『知られざる国語辞書の世界』(BSジャパン)などを企画・制作する。『ケンボー先生と山田先生』は第30回ATP賞最優秀賞、第40回放送文化基金賞テレビエンターテインメント番組優秀賞、哲学番組『哲子の部屋』は第31回ATP賞優秀賞を受賞。初著作『辞書になった男』(文藝春秋)は第62回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。

ゲスト
東京(キー局)には人材がいる。地方(局)には人物がいる
松原 耕二(BS-TBS スペシャル・コレスポンデント)

 全国から集まった若手ディレクターたちと話しながら、先輩に言われた言葉を思い出していた。こじんまりまとまらず、それぞれのやり方でVTRを仕上げた彼らは皆、この先、“人物”と呼ぶにふさわしい存在になる可能性を秘めている。作品を披露する前、ディレクターひとりひとりがその思いを語る姿は、とてもたのもしく感じられたものだ。
 今回、それぞれの地区から選ばれてきたVTRは、ゲストで参加された丹羽美之先生の言葉を借りれば、「よそ行きではなく、普段着」の作品だ。だからこそ、彼らの息遣いがより感じられたように思う。少ない人数で日々のニュースを出しながら、何とかやりくりして作ったVTRもあるだろう。どうしてもやりたくて、デスクを説得したディレクターもいるかもしれない。おそらく作り手の多くが、決して潤沢とはいえない体制のなかで、知恵をしぼり、汗をかくことで完成にこぎつけたはずだ。
 それでも彼らがVTRをつくるのはなぜか。それは「伝えたい」という思いがあるからに違いない。十二本の映像はそのことをはっきりと物語っている。そしてその思いこそが、いい作品をつくるための最大の原動力だ。
 彼らには急がず、焦らず、じっくりと大木に育って欲しい。そしてふと思ったのは、東京で働く若手もフォーラムに参加させてあげたいということだ。ややもすると工場の部品のようになりがちな慌ただしい職場で、果たして自分は伝えたいという思いを忘れていないか、そのことをもういちど考える格好の機会になるように思う。

プロフィール
1984年TBS入社。社会部記者、『報道特集』ディレクターを経て、『ニュースの森』メインキャスター、同番組編集長。その後NY支局長として4年間米国に滞在、帰国後『NEWS23クロス』メインキャスターを つとめ、現在BS-TBSの特派記者。制作したドキュメンタリー『フェンス~分断された島・沖縄』で、第40回放送文化基金賞テレビドキュメンタリー番組優秀賞受賞。著書に長編小説『ハードトーク』『ここを出ろ、そして生きろ』(新潮社)、ノンフィクションに『勝者もなく、敗者もなく』(幻冬舎)などがある。

参加者
きっと私も…!
秋塲 優歩(テレビ埼玉 報道制作局制作部)

 テレビ制作の現場に入って、間もなく1年が過ぎようとしています。最近ではルーティーンワークに追われ、ともすると目の前のことしか見えなくなりがちな日々の中で、単純にテレビを「面白い」と思うことすら忘れていたように思います。
 そんな中で参加した、今回の全国制作者フォーラム。拝見した一つひとつの作品に、純粋に笑い、涙し、心を揺さぶられ、これまで停まっていた思考が再び働き始めるのを感じました。
 「情報の余白・空白」をもって視聴者と対話すること、「その人ならでは」のストーリーを大切にすること、新しさとは何か、面白さとは何か…。今回のフォーラムでは、番組を作るための、そして何より「伝える」ためのたくさんのヒントを頂きました。
 「制作者」というにはまだまだ未熟ですが、第一線で活躍されている制作者の皆さんと同じ世界にいられることを心からうれしく思うと同時に、今回拝見した作品にも負けない、「社会の鏡となり、鑑となる作品(BS-TBS松原氏)」を自分の手で作りたいと強く思いました。

参加者
持ち帰った「熱」
柿﨑 康(NHK秋田放送局 ディレクター)

 全国制作者フォーラムから地元に帰ってもまだ、会場でもらった「熱」を感じている。NHK・民放の枠を越え、同じ映像の作り手として1つの場に集まる“他流試合”。さすが各地区の大会で評価されたミニ番組だけに、どれも同じ制作者として「おもしろい」「やられた」「ずるい」と思う作品ばかりで、VTRが流れる度に自分の心に鞭を入れた。
 また、ゲストの方たちの生の声は、さらに「熱」を高めた。「ディスカッション」というよりも「ライブ」という言葉がふさわしいと思える時間。まだまだテレビにできることは多い!と先輩からエールをいただいたように思う。持ち帰った「熱」を使って、地方だからこそ見える“いま”を制作者の目で切り取っていきたい。

参加者
初めての制作者フォーラム
兼井 孝之(関西テレビ 報道センター)

初めて参加した。
「ここで上映したミニ番組から、各地の映像祭に入選するのがでてくるから」知人が教えてくれた。上映されるのは各地で選抜された映像素材ばかり。作品ごとにゲスト審査員の講評があった。根底にテレビへの愛を感じるのが他とは違う。
2部の番組を見る会の終了後にトークイベントがあった。
「手紙コミュニケーションの大切さ」「神は細部に宿る」など、実績をつんだベテラン制作者が惜しみなく取材・制作のヒントを会場で披露する。これだけでも参加する価値はある。
気になることもあった。かつて地方の民放局に名物ディレクターがいて名作を世に送り出していた。交流会で参加者と話してみて、優秀な作り手が退職したあと、経験をうまく継承できていないケースが多い印象を受けた。
若手・ベテランを問わずテレビ制作者が交流する場の重要度が高まっている。
「制作者フォーラム」を開催してきた放送文化基金の皆様に謝意を伝えたい。

参加者
全国制作者フォーラムに出席して
玉井 新平(高知さんさんテレビ 報道制作局報道部)

 アナウンサー兼記者として10年。自分の成長につながる指摘やモチベーションを引き上げる「何か」を求めていた。そんな折、全国制作者フォーラムに出席する機会を頂いた。ゲストのプロデューサー陣によるパネルディスカッション。「インタビューはキャッチボール。これを聞いたら怒った、喜んだ。そこに人間の本質が見える」「失敗か環境を変えることにディレクターとしての成長がある」一つ一つの言葉に映像作りへのこだわりと執念がにじみ出る。
 そして、ゲストの佐々木健一氏が制作した番組「ケンボー先生と山田先生」の視聴はディレクターとしての道標となった。国語辞書の生みの親である2人の男の人生を辞書の言葉から紐解いていく。確執と尊敬が交錯する2人の人間模様が、緻密な構成により、まざまざと浮かび上がってくる。フォーラムで学んだのは映像作りの奥深さとおもしろさ。新入社員の頃に抱いた情熱が思い起こされ、清々しい気持ちとなった。

参加者
誰かに話したくなるテレビ
濱田 和也(FBS福岡放送 ディレクター)

 全国制作者フォーラムで私が制作したミニ番組「消えゆく英語の筆記体」を多くの みなさまに見ていただける機会を与えて頂きまして本当にありがとうございました。 上映後「いまの中学生は英語の筆記体を習わないんだ!」、「地元に帰って話してみよう」と関心を持ってくださった方も多くありがたく思いました。
 そして、フォーラムで上映された数々の作品を見て感じたことも『人に話したくなるへぇ~!』でした。ご講演いただいた佐々木氏の作品「ケンボー先生と山田先生」では国語辞書に掲載されている語釈に込められた知られざる編纂者の思い。そして、東京オリンピックの陰に隠れ戦争により実現することがなかった「幻の札幌オリンピック」など今回のフォーラムに参加することで、改めて人に『へぇ~!』と思われる番組は面白い!と確信しそんな番組作りに励みたいと改めて思える1日でした。
 ありがとうございます。