対談
テレビドキュメンタリー番組 [最優秀賞 & 演出賞]
尊厳に充ちたことば
妊婦が服用した薬によって、子どもたちに重い障害を負わせた「サリドマイド薬害事件」から50年。子どもだった被害者は50代になり、また新たな体の異変に襲われている。被害者それぞれが自ら語る半生を記録した『ETV特集 薬禍の歳月~サリドマイド事件・50年〜』(NHK)がテレビドキュメンタリー番組部門の最優秀賞を受賞した。ディレクターの石原大史さんは演出賞も受賞。石原さんに吉田喜重委員長が話を聞いた。
最優秀賞受賞、そして演出賞受賞おめでとうございます。
ありがとうございます。
ドキュメンタリー部門ではNHK制作の番組が過去にも多く受賞しています。審査をする立場からしますと、なるべく平等に賞を差し上げたいという気持ちがあるのですが、結果的には毎年民放にくらべてNHKが多くなってしまいます。公共性からいって当然でもあるのですが、それを可能にさせているNHKのドキュメンタリー制作の仕組みをお話いただけますか。
今回賞を頂いた番組は、ETV特集という枠で放送されました。ETV特集では、取材、企画書の作成、ロケ、編集、ポスプロまで一貫してディレクターを中心に制作します。プロデューサーは責任者ですから、企画の了承にくわえ編集室での試写に参加し、細かい修正まで携わってくれます。それでも、番組で何を伝えるのか、そのために何をどう作るのかというのは、ディレクターが一番考えねばなりません。
NHKは大きな組織ですから、毎年どのようなテーマのドキュメンタリーをつくるか、歴史年表を参考に、例えばこの事件、出来事は今年で何十年経った、記念の年だから制作しようと企画し、それを制作現場に指示するといったように、企画立案する側とそれを制作、実現する側が分かれているのではないかと考えていました。しかしそれがやや危険な方法と思われるのは、制作現場はそれに興味がなくてもつくらされる。そうした組織のあり方であれば、生き生きとしたドキュメンタリーになるとは思えないからですが、現場ではそれをどのようにして乗り越えようとしているのですか。
プロデューサーが用意した企画をディレクターが請け負うという番組も、もちろんあります。たくさんのディレクターや記者などを集めて、組織を使って番組を制作するケースには、そういうスタイルが多いのではないでしょうか。複雑に入り組んだ問題を解き明かす調査報道や、スケールの大きなシリーズ企画とか。私自身は、そういう仕事も好きですし、組織でしかできない仕事も大切だと思っています。
一方、今回の番組は、少ないスタッフで、お互いの顔が見えるという信頼関係の中で番組を制作することが出来ました。こういうスタイルの番組の利点は、制作者が現場で感じたリアリティー、事象の捉え方を大事にしやすい点だと思います。もっとも、それが独りよがりな感覚であれば、放送に耐えうることは出来ませんし、その意味で、現場に立つ人間がより問われるスタイルだと思います。
ドキュメンタリー = 演出の塊
NHKが大きな組織であるゆえに現場がどこまで自由であるのか、それを伺ったのですが、そうした意味からも、審査委員全員が石原さんに「演出賞」を差し上げたのです。もっともドキュメンタリー作品では、「演出」という言葉に違和感を持たれる方もおられるでしょう。他に適当な賞の呼び名がないのだろうかと検討したのですが、それを監督賞としても、やはりそぐわない。それよりもドキュメンタリーの対象となる方たちにインタビューを試みている以上、それは演出と呼んでも良いのではないか。また撮影の現場、編集等をリードするのは、たとえドキュメンタリーであっても演出者です。石原さんご自身はどのように考えられますか。
一般には、ドキュメンタリーというと演出のない“生”の世界を記録したものと理解されているかもしれません。しかし、実際には、ドキュメンタリーといえども、人間の“作為”なしには制作できるものではありません。
今回の番組であれば、どうやってインタビューを撮るのか。自分の気持ちを素直に話してもらえる関係性をどうつくるのか。カメラマンに表情やしぐさをどう捉えてもらうのか。音声マンにその現場の音をどんな風に録ってもらいたいのか。ひとつひとつ演出というか、意識的な判断を積み重ねて記録していきました。そういう意味で、ドキュメンタリーのロケの現場は演出の塊でもあります。加えて編集の過程でも、膨大に記録された映像の中から何を選んで、どういう画を組み立てるのか、それにどうナレーションをつけるのか、それともつけないのか。ひとつひとつ判断していくわけですね。それも演出の塊です。
ドラマの様に作意的な世界をあらかじめ構築し、その中で物事をつくるというのとは違います。それでも、我々の主体というものが常に問われなければ、ドキュメンタリーでも物事をつくりだすことができません。その意味で、ドキュメンタリーとは非常に演出的なものだと思います。
石原さんがいま話されたのは、ドキュメンタリーの制作の上では、非常に重要なことです。ドキュメンタリーは事実ではなくて、それはつくる人間の想像力によってつくられる。誤解を招くことをおそれずにいえば、それはフィクションでもあるのです。
いま現在進行形で起こっている事実、あるいは過去にあった事実を追究し、問いかけることが、ドキュメンタリーの有り様ですが、それを現場で実行しようとすると、その瞬間それが事実ではなくなる。それはつくろうとする人間がどのように解釈し、意味づけするのか。そこには必ずその人間の感情、意識、理解の仕方が加わらざるを得ない。それこそ個人的なものに過ぎないのです。
「皆さんのこの50年、それはどういうものだったのですか?」
その意味では、今回の番組では個人としての石原さんのインタビューが見事でした。インタビューしているご自身の姿は見えませんが、サリドマイドの被害者の方たちに問いかける有り様が、過去のつらかったことを聞き出すのでなく、被害者の方々がみずから語り出すまで待つ。そして被害者の皆さんは次第に過去のことを思い出し、ポツリ、ポツリと話し出すのですが、この被害者たち自身のまぎれもない記憶こそ、ドキュメンタリーの核心であり、それを導き出した石原さんの演出なのです。
多くのドキュメンタリーでは取材する側が、事実を求めて積極的に質問するあまり、語る人たちがその質問に合わせて、自己コントロールして話してしまう。私が危険視するのは、こうした取材する側が積極的に質問することにより、自分の意見、判断へと誘導するように聞きただそうとすることです。それはドキュメンタリーではなく、単なるメッセージに過ぎません。
それが石原さんの場合は、被害者の方たちがみずから語り出すまで待つ。それは石原さんの演出でもあり、次第に被害者の心を開かせ、その苛酷であった人生を語る言葉が感動を呼ぶのですが、それは石原さんの人間性が導き出した信頼関係でもあったと思うのですが、石原さんはどのようにお考えですか。
私たちが番組で大切にしようと考えたのは、取材に応じてくださった皆さんの言葉の力でした。皆さんが語る言葉から私たちが感じたのは、50年の人生を背負った薬害への告発と同時に、苦難の時間を生きてきた人間の尊さでした。そのことが番組の核になるし、それをきちんと記録しなければならないと思ったのですね。皆さんの透徹した自己分析、それはおそらく、自分たちは何ものなのか、どうして今ここにいるのか、ということを繰り返し自問自答されていた結果なんだろうと思いました。
私たちがロケをするにあたって考えたのは、皆さんの有り方を捉えるために、「余計なことはしない」と。単純に番組に必要な要素を集めて行くような取材では、皆さんの50年の重さに迫ることが出来ない。こちらの想定にあてはめて語らせるのではなく、被害者の皆さんがこの50年をどう生きて、何を感じて、今どう思っているのかということをフルサイズで記録しようと考えていました。
「皆さんのこの50年、それはどういうものだったのですか?」その一言に代表されることを全部聞きたいと。でないと、この歳月の重さは分からないのではないかと思いました。
いま「余計なことをしない」と言われたのは、ドキュメンタリーをつくる人間に課されたモラルでもあると思います。
被害者の方がたが生きてきた50年、それを語る人たちがこれまで過酷な人生を生き抜いてきた尊厳、それに同情することすら許されない尊厳というものが、その語る言葉のはしばしに至るまでにじみ出ているのです。
それはサリドマイドの被害者として諦め、絶望しているのではなく、かえって健常者であるわれわれを見返すようにして厳しく生きている、その人間としての尊厳こそが私たちを圧倒するのです。
テレビ制作者が企画を通すときに○○問題という形で企画を通すというのがよくあります。しかし、今回の番組では、被害のつらさを訴える存在としてだけ、被害者の皆さんを描くというやり方では、事の大きさが伝わらないだろうと思っていました。
胎児期に薬害の影響を受けた皆さんは生まれながらに被害者でした。この50年、薬害をいろんな形で背負わされていて、理不尽に奪われたものに対する怒りだったり、悲しみだったり、それを取り戻そうとする動きがありました。
それと同時に、一人間としての50年。喜びと悲しみが混在しながら生きてきた時間の重さがあるわけです。そこに人間の強さ、輝きのようなものを強く感じました。それは、怒りと告発だけを担わされたステレオタイプな被害者像からは見えてこないかもしれません。「薬禍の歳月」というタイトルを銘打つ以上、その両者を丸ごと描かないことには、薬害がもたらしたものの全体像は見えないのではと考えていました。
時空間が変わると本質が何かということが変わってくる
今回、重度障害者夫婦の子育てを描いた『ふつうの家族 ある障がい者夫婦の22年』(テレビユー福島)に優秀賞をさし上げたのですが、この番組も「人間の尊厳」というものを私たちに問いかけるという、偶然にも最優秀賞の『薬禍の歳月』と同じ視点でつくられている番組でした。もっともこの民放の作品は、NHKのように長期にわたって記録されてきたドキュメントを活用してつくられたのではなく、20数年前に若いプロデューサーとして取材し、作品を制作した女性が、20数年たった現在、みずからがつくったドキュメンタリーを活用しながら描いた作品です。しかし重度の身体障がい者である男女は周囲の反対を押し切って結婚、健常者としてふたりのこどもが生まれ、やがて成人するまでを過去の映像記録を使いながら描かれているのですが、ここにも人間の尊厳が語られていたのです。
この民放の作品は、幸運にも過去の映像が残されていたために制作が可能だったのですが、膨大なドキュメンタリー作品を所蔵するNHKでは、今回のサリドマイド薬害の記録はどのようにして活用されたのですか。
NHKの場合は、アーカイブスが整備されていまして、ニュース映像や番組が一定程度保存されています。この番組を始めるにあたってサリドマイドに関連するものは一通り目を通しました。事件後、裁判の和解をピークに、被害者の皆さんが二十歳を迎える前後まで、ニュースや番組がさかんに作られていました。簡単に類型化すると、裁判まではいわゆる事件の深刻さがテーマになっており、和解以降は被害者の「自立」がテーマでした。
過去の映像をみながら、同時並行的に取材をはじめていたのですが、被害者の現在を受け止めながら過去の映像作品を見ると、当時の制作者が描きたいものが理解できると同時に、それによって描かれていなかった部分も存在している事が分かってきます。特に気になったのは、「自立」という問題です。和解によって事件が法的決着を迎えて以降、被害者の自立はたしかに必要なことでした。被害者の皆さんも、「健常者に負けないように生きていく」ということを目標にしていたとも聞きましたし、被害者の「自立」によって事件は終わったことになるのだとも。しかし、50年経ってみてみると、その「自立」を目指して酷使した体は、いわゆる二次障害といった形で、新たな障害を引き起こす原因になりました。
そこで気がつくのですね。これまで描かれてきた「和解」から「自立支援」という番組群には老齢期を迎える被害者という想定、視点が欠けていたと。同時に被害を巡って長期的な展望を持った調査も行われていなかったことも見えてきます。それは逆に言えば、事件の幕引きを図った制度の流れに乗った視点だけでは、見えてこないものがあることを教えてくれています。時空間が変わると、事柄のテーマや本質が何かということが変わってくるのですね。過去の記録や映像は、それを検証しながら、今の視点をより強化していったり、反省していったりということが可能なわけです。そういう意味では今回の番組でアーカイブスを利用したことはすごく重要でした。
つくる側のメッセージであってはならない
私は先ほどドキュメンタリー制作者に課されたモラルと呼んだのですが、それをいま見事にお話していただけました。
事実は真実ではありません。ある過去の事実を読み解こうとすると、それは解釈になってしまいます。それを見る人間のいま生きつつある現在の時間が、おのずから加わってしまう、時間とともに、状況は刻々と変わってゆく。それが私たちの人生の有り様なのです。そうした人間的な、かぎりない不確定要素を抱え込みながら、事実を追い求めることこそ、ドキュメンタリーをつくる魅力なのです。
ドラマは想像力でつくられていると、誰しもが思いますが、同様にドキュメンタリーもまた、想像力によって作られているのです。ドラマとドキュメンタリーはまったく対等の表現であり、創作なのです。このように話すと、奇異に思われるかもしれませんが、想像力を働かせるという意味では、ドキュメンタリーもドラマも全く対等です。
さらに言えば、自分自身がそこに反映するという意味では、ドキュメンタリーの方が鮮やかに反映すると思います。あたかも合わせ鏡をしたように、過去にあった事実と自分とが向き合うのですから、自分だけの理解の仕方、感情の赴くまま、一方的というわけにはいかない。そこには対話が起こり、葛藤が行われる。これが人間の限界を超えて表現自体を豊かにする。ドラマをつくることは自由ですが、独善的になる危険もあるわけです。映画もテレビドラマも、つくる側のメッセージであってはならない。視聴者がそこにみずからの想像力を加えることによって、対等に作品と向き合えるような開かれた作品。それが本来あるべきメディアとしてのテレビの姿だと思います。
石原さんの今回の演出は、あくまで被写体となっている人たちの自主性を尊重し、みずからを無にして待つ。それが作品を成熟させているのです。
映像表現とプロパガンダの境目というのを時折、考えます。番組の主張を強く単純化すればするほど分かりやすくはなるし、見やすくはなるのですけど、物事の解釈を一元的にしていくことは映像メディアにとって「諸刃の剣」なのではないかと。
今回の番組では、被害者の皆さんの心理や思い、事件の解釈を、こちらが勝手に意味づけして、コメントを書いたりするのはやめました。基本的には登場していただいた方たちの複数の肉声によって多声的に描いていこうと。番組で制作者としての所感を書いているところは番組の最後、「薬害が被害者の人生に何をもたらしたのか。そしてそれは、償うことが出来るのか」。この一行の問いかけくらいです。番組を見る側が薬害という全体像の中から何を受け取って、どう自分の人生に意味あるものにしていくのか。そこを開いておこうと。
ドキュメンタリーというと、ややもすると、おしつけがましい主張を聞かされているような読後感になりがちだったりします。そうなっていくと、ドキュメンタリーという手法の強さというのが失われていくというか、飽きられるという危惧もあります。ドキュメンタリーは先ほども申しましたように「作為」の塊です。そうであるから、あえて「作為」を抜くという「作為」をいれておく。そういう感覚も大事にしていけたらなと思っています。
取材者と取材を受ける人の関係性がインタビューを通じて進化していく
石原さんのインタビューが作品を成功させた理由だと、私は話しましたが、それは稀有のことだったのかもしれません。今回、奨励賞を差し上げた『女たちのシベリア抑留』も、インタビューを主体に描かれた作品ですが、抑留されて帰国した女性たちは、本当に悲惨なことについては口を閉ざしてしまいます。それは慎み深い、戦前の女性たちの尊厳の表われなのでしょう。しかしサリドマイド被害の方がたは女性も含めて、みずからの悲惨さについて自尊心をもって話されている。戦前と戦後の教育や、社会環境の変化により、男性、女性の差別がなくなっているとはいえ、石原さんとインタビューを受ける被害者の信頼感があったからだと、改めてそう思います。
それは取材に応じてくださった皆さんの勇気に支えられてのことだと思います。インタビューの時ですが、ある地点に到達すると、もうそこは話したくないんだろうなという感覚が分かるときがあります。でも、そこをさらに質問していくと、相手に聞くという行為自体が段々暴力になっていってしまいます。そうなってはいけない。そこまでする権利はないと思って、「じゃあ、この辺で今日はもうやめましょう」となるものです。ところが今回の撮影では、「もうやめようと」こちらが判断しかけた瞬間、そのことが伝わったのか、私たちが聞きたかったことを話しはじめて下さったということがありました。
話しながらみなさん、考えているんですね。どこまで語ったらいいのだろうか。この人たちは語るに値するのだろうか。どのくらい自分たちの話を理解していて、そのことを受け止める覚悟があるのだろうかと。取材者である私たちは、同時に取材先から見られているわけです。あらかじめすべてを語ろうと思って語っているわけではなく、そこには人間と人間の相互作用があるのですね。取材者と取材を受けてくださる方の関係性がインタビューを通じて進化していくというか、動いていくんですね。その揺らぎの中から立ち上る言葉、そこに映像表現としての力が生まれたのだと思っています。
今日は私自身も同じ映像をつくる立場から、お話を伺いましたが、良い対話ができたと喜んでいます。
プロフィール
石原 大史 さん(いしはら ひろし)
NHK制作局ディレクター
2003年NHK入局。長崎放送局を経て現在、制作局ETV特集班。制作した主な番組にETV特集「枯れ葉剤の傷跡を見つめて~次世代からの問いかけ」(10年ギャラクシー賞優秀賞)、ETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図」シリーズ(11年~芸術祭大賞ほか各賞受賞)、NHKスペシャル「空白の初期被ばく」(13年JCJ賞)、ETV特集「毒と命~カネミ油症 母と子の記録」(14年ギャラクシー賞奨励賞)など。