寄稿
個人・グループ部門[放送文化]
“開拓”したいなぁ!“開拓”したいよねぇ?
藤井稔さんは数々の優れたドキュメンタリー番組を制作し、新たな放送表現を開拓してきたことが評価され、個人・グループ部門〔放送文化〕を受賞。自身の番組作りへの想いを寄稿していただいた。
藤井 稔 さん (ふじい みのる)
CBCテレビ 報道・番組総局 編成・制作局 制作・情報部 専任部長
1966年生、愛知県出身。名古屋大学文学部卒業後、1989年中部日本放送(現 CBCテレビ)入社。『えんがわ』(1999年)で芸術祭賞などを受賞。『山小屋カレー』(2004年)で日本放送文化大賞準グランプリ、放送文化基金賞番組賞などを受賞。2016年放送文化基金賞 個人・グループ部門〔放送文化〕受賞。
シビれた!受賞理由
この度、栄えある放送文化基金賞を個人として頂戴した。ハッキリ言って「フザけた番組」ばかりを制作し続けてきた、私にとっては身に余る栄誉。嬉しかった。中でも一番嬉しくて、シビれたのが受賞の理由。「放送表現の開拓」。何という素晴らしく美しいお言葉。感動した。そうなんだ!私が、他人は決して作らない、地味なのに軽い「フザけた番組」を作り続けてきた真髄・本質は、まさに、この「放送表現の開拓」にあるのだ。今現在、私が「開拓」に成功できているという自信は、実はない。でも、ハッキリと目標は決まった。これからも、ただひたすらに「放送表現の開拓」を目指して、頑張っていこうと強く思う。
背後霊は、偉大なアノ2人!?
私の背後霊は、「きんさん・ぎんさん」だと信じている。名古屋が誇る100歳双子の国民的アイドル。初めて出会ったのが入社3年目の1991年秋。この出会いがなければ今の私は絶対ない。以来、ワイドショーなどで2人の取材を継続すること6~7年。それとは別に、入社当時からの志望でもあったドキュメンタリー番組制作にも取り組み始めていた1998年。生来のあまのじゃく発想で思いついたのが、「超人気者のぎんさんのお宅で撮影するのだが、ぎんさんが出演しない」番組『えんがわ』だった。ちょうどクランクアップの翌日に生まれた娘が、今では女子高生になっているので、ずいぶん昔の話だ。
この『えんがわ』が、思いもよらないほどの評価をいただいたお陰で、自然とその後の私の番組制作方針が決まった。「地味なのに軽い、一見世の中に役立っていないような市井の人を描く、クスッと笑えるクダらない番組」。以来、「ジミカル!ジミカル!」を呪文のように唱えながら、番組を作って来た。個人的には「派手な番組は軽くても良いが、地味な番組は重厚なテーマを描かなければならない」というテレビ界の掟への反抗のつもり。そして、「他の人がやっていない、自分だけのオリジナル表現」を探し続ける作業でもあった。
クダらない!ジミカル!・・・そして引き算
岐阜県の山の中で「世の中にまったく役立たないロボット」を作り続けるオジサンが主役の『鉄くずキラリ』(2002年)。三重県・御在所岳の、ほとんど泊り客が来なくなった寂れた山小屋を営む老夫婦を描いた『山小屋カレー』(2004年)。「コスプレ家族写真」を撮る、入れ墨カメラマンが登場する『家族記念日』(2009年)。「10年後に皆元気だったら、必ずパート2を撮りましょう!」と固く約束しながら、私が約束を忘れていて、11年後に慌てて撮った『えんがわ~18年目の春』(2010年)。最新作、愛知県に暮らす何の変哲もないイスラム教徒の日常を描いただけの『隣のプレイルーム』(2016年)。なんてクダらなくて「ジミカル」な私の制作番組ラインナップ。そんな中、私が常に大切にしてきたことは、一見世の中に役立っていないような人が、実は「かけがえのない人」であるということ。市井の人々の暮らしの中にある、思わずクスッと笑ってしまう巧まざるユーモア。
まだある。最初は悪ノリもあって始めてみた「スーパーなし、ナレーションなし、BGMなし、アップ映像なし」の番組制作。お墓での独り言だけで、番組全編を構成した『また来るね』(2003年、2004年)。過剰なスーパー、情緒をあおるBGM、説明過多なナレーション、必要以上のアップ映像・・・現在のテレビは全て「足し算」の論理で作られている。ならば、一人ぐらい「引き算」で番組を作る人間がいたっていいじゃないか。 今年作った、故人の思い出話だけで構成した『しかし、あの人には笑ったなぁ・・・』まで、「引き算番組」は私の中ではシリーズ化されていて、かき氷屋での世間話だけの番組やら、「帰り道」での会話だけの番組などを、しつこく撮り続けてきた。
オリジナルであること。テレビ表現の可能性
草創期のテレビ番組の奔放さ、チャレンジ精神に憧れる。何もお手本がない中で、草創期のテレビマン達は、様々なチャレンジをし、失敗し、立ち上がり、現在ある様々な「テレビ表現」を掴みとって来たはずだ。草創期のテレビ番組には、そんな挑戦者精神が滲み出ている。お手本がないから当然なのだが、そのどれもがオリジナルだ。以来、数々のテレビマンが、独創によって「テレビ表現」の可能性を拡大してきたことが、テレビの歴史そのものだと思う。
翻って現在、いかに「模倣」だらけテレビ番組が、この世の中に溢れていることか。新しい「テレビ表現」が、その中にあるのか?単なる過去の番組の「劣化コピー」に過ぎないのではないか?新しい表現を開発しないテレビというメディアは、近い将来、世の中から見捨てられてしまわないか?
田舎・名古屋の1中年テレビマンにできることなんて、たかだか知れている。しかし、志すのは自由なはずだ。私は強く思う。オリジナルな発想で「テレビ表現の可能性」を 拡げたい!自分の制作した番組を、過去の「テレビ表現」の限界の壁にぶつけて、力いっぱい押してみたい。壁を1ミリでいいから動かしたい。
繰り返しになるが、書く。そんな私を、「放送表現の開拓」という素晴らしい言葉で表彰いただいたことを、本当に感謝している。今までの私の制作で、本当に“開拓”出来たかどうかの自信は、やっぱりない。でも、表現を生業とする者の端くれとして、強く思う。そして、同業後輩達に問う。“開拓”したいなぁ!“開拓”したいよねぇ?