エッセイ
テレビエンターテインメント番組 [最優秀賞]
「人生フルーツ ある建築家と
雑木林のものがたり」の舞台を訪ねて
エンタメ部門の最優秀賞『人生フルーツ』は、ある老夫婦のゆったりとした暮らしぶりを静かに見つめた素晴らしい作品だが、こういうにじみ出るような味わいは、そう簡単に作り出せるものではない。この作品はどのようにして生まれたのだろう?番組を制作した東海テレビのスタッフと、描かれたご夫婦の家を訪ねることにした。
実は、この訪問には最初からちょっと緊張があった。描かれたご夫婦は終始穏やかな笑みをたたえ、にこやかだが、どうもそれだけではないように感じる。ただの好人物であるはずがない、もっと激しいものがあるはずと思ってしまう。ご夫婦の暮らし方には僕たちのヤワな暮らし方を厳しく批評するようなところがあり、私の神経はそれにおびえたのだ。
場所は名古屋の郊外、高蔵寺ニュータウンの一角。300坪の土地に畑と手作りの雑木林を作って40年、自然の力を友として暮らしてきた。夫の修一さんは90才、建築家である。
妻・英子さんは87才、お料理の得意な主婦だが、畑仕事も機織りもする。
何事にもゆっくりと時間をかけて、いかにも丁寧に生きている。二人とも穏やかな笑みをたたえて、激することなく、仲良く、いたわり合い、満たし合って生活している。番組ではそう見える。
修一さんが番組の中で、「彼女は生涯で最高のガールフレンド」と語るシーンがある。私にとって衝撃的なセリフだ。自分は老妻のことをそう語れるだろうか。そう語れる日が来るだろうか、と。
自然に逆らうことなく、自然の実りを享受して、あらゆる過剰を避け、穏やかに生きる。二人の姿はそう見えた。そのことに胸を打たれた。
高蔵寺の大団地を望む一角、数軒の住宅に交じって、『人生フルーツ』の家は建っていた。想像していた通り、ユニークな家だ。木造平屋、玄関はなく、庭からいきなり居間に入る。30畳の広いワン・ルーム。食卓もベッドも見える。光の入る高窓、天井はなく、家のがっしりした躯体が露出している。修一さんの師であった建築家アントニン・レーモンドの旧宅を模した建物だという。
強烈な個性。圧倒されるような主張の強さ。一隅に1㎥はあろうかと思われる二階建てのドールハウスがあった。覆いを開けると、細かい家具、調度がぎっしりとしつらえられている。丹念な縮尺、細工、彩色。費やされた気の遠くなるような時間。修一さんがお孫さんのはなこさんのために作ったものだという。
これはこの家の主の何を示すものなのか。単に孫への愛情といえば説明のつくものだろうか。
番組にしばしば登場する畑を見せてもらうことに。年間100種類の作物を生み出す英子さんのキッチン・ガーデンだ。肉や魚以外はここで作ったもので賄う生活をしてきたという。冒頭の「風が吹けば枯れ葉が落ちる~」は、この畑のための堆肥づくりのことだ。
畑に続く雑木林。里山の復活は修一さんが提唱し続けたものだ。雑木林で不思議なものを見た。ナラやクヌギの幹に括りつけられた人名を記した木札である。同行してくれたディレクターの伏原さんの説明はこうだ。修一さんは、人の冠婚葬祭に一切出席しなかった。その代わりかどうか、故人の名札を樹木に下げるようになった。名札の日付は故人の命日である、と。
畑も雑木林も少し荒れている。手入れが行き届かない。それもそのはずだ。修一さんは去年の6月に亡くなった。番組のなかで描かれている通りだ。主はもういないのだ。しかし、修一さんの強烈な個性は生き続けている。生き続けてこの家に満ち満ちている。
それは番組に登場する温顔の好々爺の修一さんではない。もっとわがままな才能、強烈に自己主張する個性。建築に関する哲学の実践。英子さんはその哲学に優しく寄り添ったガールフレンドなのではないか。
場所を東海テレビの会議室に移して、阿武野プロデューサーと伏原ディレクターにお話しをうかがうことに。阿武野さんはドキュメンタリーの世界ではつとに有名な人で、お目にかかったこともあり、『死刑弁護人』など何本かの作品も拝見している。
この作品が表現したもの、いわゆるメッセージは必ずしもわかり易くはない。流行りのテレビ番組の味わいとは違ったものだろう。
狙いが伝わるという自信は?
何が撮れているのか、撮れたものがあるのか、わからなかった。2年も取材して、400本も廻して、とんでもない駄作をつくってしまったか、と非常に不安だった。もうこれで次はないかと。カメラマンの村田にも、何も起こらないものを撮ることになるかもしれない、と不安を打ち明けて、納得してもらった。
私は心配していなかった。とにかく取材先へ回数多く通え。通えば必ず撮れている。日常に入り込んでじっと観察し続けろ、とアドバイスした。
撮れている、撮れているはずだ、というのはおもしろい。
ディレクターが意識しないものが撮れているということだろうか。
ドラマでは使わない言い方です
修一という人に惚れ込んでいたが、好きだと悟られないように作りたい、と思った。修一さんに自分の父親を重ね合わせているところがあった。父は自分の生き方というようなことは語らないが、語りたいことはあるに違いない。こっちも聞きたいことはあった。
イベントを撮ろうとするな、日常を積み重ねろ。イベントは撮っても結局使えないぞと言っていた。
それでも、なにかドラマチックなことが起これ、起これと毎日思っていた。知らなかった過去が出てくるとか、夫婦の大ゲンカとか。隣人が凄い迷惑をしていて、この木を切れといってくるとか。でも何も起こらないので、あせって小手先のテクニックを使おうかという誘惑を感じたりもした。取材対象を動かすとか、長年やってきてそういう引き出しがなくもないので。
編集のウエートが非常に大きかったと思いますが
編集マンを誰にするかというとき、若い人を育てる立場だろう?と水を向けたが、伏原はベテランの奥田にこだわったので、不安になってるなと感じた。
素材テープを見せたとき、奥田さんに、これどうやって作るの?といわれてショックだった。番組にならない、といわれたようで。
編集室はとてもフルーティって感じじゃなくて、まるで乾ききった砂漠でしたね。
このセリフをいわせるとイヤ味な人になるのではないか?このシーンを使うと偉そうになるというような意見を、奥田さんと徹底的に話し合った。
なるほど!そういうことですか!
編集によってキャラクターが変わる。温顔の好々爺というイメージはもしかすると奥田さんが作ったもの?
編集マンにはいくつかのタイプがあるけれど、奥田は先回りしてつないで見せるタイプ。こっちが後ろで居眠りしていると、自分の考えでつないで、これでどうですかと。
修一さんが突然亡くなります。英子さんは当然大きな悲しみに襲われる。しかし慟哭はない。
あのあたりの編集に感心しちゃいました
自分のことになりますが、父が亡くなった後の母に気付かされることが多かった。父の死後、母は新しいお稽古事を始めたり、新しい友だちを作ったりした。へえ、そういうことをするんだ、と。女の人の強さというか、そういうものを感じた。
亡くなった修一さんの顔のアップが、非常に長く編集されていて驚いたが、あれは誰の意見で?
阿武野さんです。
見る人が違和感を抱くほど長くつなごうと言った。メディアが死を描くことを遠ざけすぎているので、死を見つめることができなくなっている、という思いがあった。或いは批判があるかもしれないと覚悟はした。
『人生フルーツ』というのは不思議なタイトルだが
私は50くらい、伏原は100くらいタイトルを考えたがどれもおもしろくなかった。
樹木希林さんのナレーションの録音が2日後に迫っていて、もう決めなければと焦っていた。
風呂に入っていて突然、『人生フルーツ』という言葉が浮かんだ。翌日皆に、これでどうだと書いて見せたら、バカなおやじという顔をされた。ところが更に一日たつと雰囲気が変わって、いいタイトルだということになった。
録音の前日でした。『人生フルーツ』という言葉で一本筋が通った感じがした。すぐに気に入ってくれたのは英子さんだった。修一さんにぴったり、といって喜んでくれた。
確かに『人生フルーツ』というタイトルで修一さんの人生を肯定する感じが出た
普通はまずタイトルがあって、それに沿って作るが、今回は異例。映画のような大きなタイトルだと思う。
会議室での座談のあと、街へ出て夕食をご馳走になった。名古屋名物の鶏料理の老舗。編集の奥田さんも来てくれるというので喜んでいると、そのあと、カメラの村田さん、音声の伊藤さん、音効の久保田さんたちが次々にやってきて、とても賑やかな食事会になった。こういう機会はなかなかないので、と喜んで貰えたらしい。
編集の奥田さんは、ほめられることは滅多にないので嬉しい、といい、今回編集はあちこちで話題になったと伏原さんも奥田さんを讃えた。修一さんが亡くなったとき、カメラの村田さんと音声の伊藤さんは泣きながら撮影した、という話が出た。取材には伏原ディレクターなしで、カメラと音声だけで行くこともしばしばあり、二人はご夫婦との間に独自の厚い親交を作り上げていたのだ。現場の信頼関係がうかがわれる素敵な話だ。
音効の久保田さんは、修一さんが亡くなったシーンの、無音の音で苦心した話をした。現実音は、近くの公園で遊ぶ子供たちの声。それをどうするか。消したあと、静けさの音をどう作るか。
スタッフ全員が、『人生フルーツ』のあの家に通い、親しみ、なじんだのだ、とわかって、しみじみと心が温まる思いがした。そうか、あの作品の温もりは、スタッフと取材対象の間に醸し出された温もりでもあったのか、と合点したのだった。
「修一さんに、おいしいものをもっとたくさん作ってあげればよかった」という英子さんの最後の言葉と、少し荒れた庭の風景がふと思い出された。
『人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり』 東海テレビ放送
名古屋のベッドタウン、高蔵寺ニュータウンに90歳と87歳の老夫婦が暮らしている。津端修一さんは建築家で、奥さんの英子さんは料理上手。敷地に雑木林を作り、野菜や果物を育てている。1960年伊勢湾台風の高台移転として、日本住宅公団のエースだった修一さんが、高蔵寺ニュータウンの設計を任された。雑木林を風の通り道にし、元の土地の記憶を残そうとした理想の街づくりだった。しかし時代は経済優先、詰め込み型の集合住宅化へと変更。大きな挫折だったが、それでもこの町に住み続けて50年がたった。小さな苗木は雑木林に成長し、畑では100種類もの野菜や果実が育つ。英子さんは、畑でとれた作物で修一さんに手料理をふるまう日々。彼女は言う、「食は命」と。2人の家は30畳一間の丸太小屋。その暮らしはまるで現代の桃源郷のよう。2人は言う「年を重ねるごとに美しくなる人生にしたい」と。スローライフというとちょっと軽いし、半自給自足というと何だか泥臭い…。えも言われぬ夫婦の暮らしを追って“人生のものがたり”を描いた。
プロデューサー 阿武野 勝彦 | 音響効果 久保田 吉根 |
ディレクター 伏原 健之 | TK 須田 麻記子 |
撮影 村田 敦崇 | 音楽 村井 秀清 |
音声 伊藤 紀明 | 音楽プロデューサー 岡田 こずえ |
編集 奥田 繁 | ナレーション 樹木 希林 |
プロフィール
伏原 健之 さん (ふしはら けんし)
東海テレビ・報道局
1993年東海テレビ入社。営業局、制作局を経て、現在は報道局に在籍。情報番組のディレクター、プロデューサー、ニュース記者、編集長などを担当。主な作品は『とうちゃんはエジソン』(’03・ギャラクシー大賞)、『福祉番長』(’10・ゆふいん文化記録映画祭松川賞観客賞)『神宮希林』(’13・ギャラクシー奨励賞)
阿武野 勝彦 さん (あぶの かつひこ)
東海テレビ・報道局プロデューサー
1981年東海テレビ入社。アナウンサー、ディレクターなどを経て現職。『村と戦争』(’95)で放送文化基金賞優秀賞、『とうちゃんはエジソン』(’03)『裁判長のお弁当』(’07)でギャラクシー大賞など。2011年ドキュメンタリーの劇場上映を開始、今冬に第10弾『人生フルーツ』公開予定。個人賞に芸術選奨文部科学大臣賞、日本記者クラブ賞。