鼎談
テレビエンターテインメント番組 [最優秀賞]
「作っていく中で、思いもよらない所に連れて
行かれたって感じがしているんです」
今年のエンターテインメント番組の最優秀賞は「寅さん、何考えていたの?渥美清・心の旅路」に決まった。渥美清が亡くなって20年。その心の旅路を風天(フーテン)の俳号で詠んだ200を超える俳句でたどる番組。制作したかわうそ商会の正岡ディレクターと後藤プロデューサーに堀川とんこう審査委員長が話を聞いた。
最優秀賞おめでとうございます。受賞の報せを聞いたときはいかがでしたか?
私が電話で一報を受けて、正岡やスタッフ、NHKの人に、最優秀賞に決まった!と伝えてもなかなか誰も信じてくれなくて…。優秀ではなく、本当に
そうでしたか。喜んでいただけてよかったです。どなたがこの番組を発想されたのですか?
私です。渥美さん没後20周年で何か番組を作ろうということになったんです。でもこれまで渥美さんに関する番組は、様々な角度からたくさん作られていて、彼の人生をほとんど網羅していると感じていましたが、“俳句はまだやってないな”と思いつきました。
渥美さんが俳句を詠んでいたのは前から知っていたんですね。
はい、亡くなってから出版された句集は前に読んだ事がありました。その時とても驚いたんです。あの渥美さんがこんな俳句を書いていたの?って。
俳句が巧みな仕掛けに
その驚きは、大胆なタイトルに表れていますね。私はこのタイトル、凄いと思いました。表面的にわかりやすく、まったくミステリアスな部分がないと思われる寅さんに対して、「何考えていたの?」って。この番組でもう一つ凄いと思ったことは、出演者のラインナップです。山田洋次監督、倍賞千恵子さん、浅丘ルリ子さん、黒柳徹子さん、早坂暁さん…、出演者の数もさることながら、これだけの蒼々たる人たちの出演交渉は、大変だったでしょうね。語りも吉永小百合さんですね。
断わられてもしょうがないという気持ちでお願いした方もいらっしゃいましたが、実は想像していたより出演交渉はスムーズだったんです。
その理由として、出演者の皆さんが渥美さんとの関係を大事にされているということと、俳句を通して、渥美さんとの思い出を語ってほしいとお願いしたことが大きいと思います。渥美さんが俳句を詠んでいたことを知っている方も知らない方もいらっしゃいましたが、皆さんとても興味を示して「まず、読ませて!」とインタビューを快諾してくれました。皆さんには全部読んでいただきました。吉永小百合さんは、お世話になった渥美さんに恩返しをしたいと思ってくださったようです。
そうでしたか。やはり国民的大スターの渥美さんの人物像を直接語るのは、なかなかハードルが高く、身構えてしまいがちですが、俳句がよい話の糸口となったのですね。みなさん、いきいきと話されていましたね。
結果的に俳句が巧みな仕掛けになったと思います。俳句についての質問を重ねるうちに、渥美清という人物像をより深く語り、その人と渥美さんとの関係性がより浮き彫りになったと思っています。たとえば、倍賞千恵子さんは心に留まった句として、
着ぶくれた乞食 じっとみているプール
を挙げられたのですが、なぜこの俳句を選ばれたのですか?どんなところに引き付けられましたか?などと質問を重ねていくと、倍賞さんの渥美さんへの思いがどんどん深くなっていくのがわかるんです。そして「あの時、渥美さんから結婚を申し込まれたら、うん!って応えたかもね」なんて衝撃的な告白がでてきたりして…。驚きました。
彼の俳句を読んだ皆さんが、渥美さんの気持ちをもう一回自分の中に引き取って、そして自分との関係の中で見直しているんですね。
はい、だからこちらが想像もしない、これまでに聞いたことのない話がどんどん出てくるのでしょうね。この番組のインタビューはそんな不思議な体験の繰り返しでした。
浅丘ルリ子さんも印象に残るインタビューでした。最初にお願いしたときには、他の出演者の方のお名前を見て、「私で大丈夫かしら」とナイーブになっておられましたが、いざインタビューを始めたら、時折涙を流されながら、思い出があふれるように出てきて…。あの時は、インタビュアーの正岡含め、そこにいるスタッフ全員、浅丘さんの言葉に引き込まれていました。感動的ですごい時間でした。
映画『男はつらいよ』に浅丘さんは旅回りの歌手リリーという役で4本出演していますね。浅丘さんも話してましたけど、「国際劇場を借り切って、思いっきりリリーに歌わせたいんだ…」っていう寅さんのセリフは泣けます。
そのセリフは、寅さんが実家のみんなに話していて、実際にはリリー役の浅丘さんはいないシーンですが、全部覚えていて、一番好きなセリフだと言っていました。渥美さんに対する熱いものが伝わるインタビューでした。他の方は好みの句を2、3選ばれていましたが、浅丘さんは迷いなく
赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする
だけを挙げていました。渥美さんが、机かなにかに寄りかかって、赤とんぼに向かって「おまえ、明日どうするんだ?」と話しかけているような、または「明日どうする?」と自問自答しているような…。この俳句が渥美さんであり、寅さんである、と話されていました。
「こんなバケモノだと思わなかった!?」
たくさんの方にインタビューされていますが、その順番には意味がありますか? どなたからロケを始めたのですか?
金子兜太さんが最初でした。やはり俳句の専門家が、どう読み解くのかをわかってから出演者へのインタビューをスタートさせたい、という正岡の思いがありました。
以前から番組の取材などで金子さんの人となりは知っていたので、渥美さんの俳句について聞くなら、この人しかいないと決めていました。
金子さんの解釈は、他の方の解釈と違うところがありましたね。面白かったです。山田監督や淺井愼平さんはじめみなさんは「渥美さんは心に闇を抱えている」とか「本当は寂しい人なんだ」と言っています。これは素直な感想だと思うのですが、金子さんは「渥美って人間は素直で正直な人だと思ったけど、全く違ったね。こんなバケモノだと思わなかった」と。たくさんいる俳人の中で面白い人選だったのではないかな。成功しましたね。
金子さんのこの言葉で、これから自分がやろうとしていることは間違いないな、とゆるぎない芯が掴めた瞬間でした。
たしかに金子さんのインタビューを終えてから、制作チーム全体がゴールに向かって勢いがつきました。
金子さんが選んだ句は、
蟹 悪さしたように生き
いま 暗殺されて 鍋だけくつくつ
でした。後者の俳句、いったいどういう意味なんですかね!?この俳句は情緒の句じゃないから鑑賞が難しいですよね。
私もノーマークの俳句でした。金子さんは、「くつくつ鍋を煮ていたら、暗殺されてしまって、ざまーみろ!と、クツクツ笑っている自嘲の句なんじゃないか」と解釈していました。
面白いなぁ。俳句に限らず文学作品は、自己表現だと一般的に言われるけど、実は自己隠しという場合もある。自分の心情を素直に表現した、と言いながら本当は自分の心情を隠している。金子さんは、「渥美さんは嘘をつくことで自分自身を維持している」とも言っていますね。
心の中に孤独感、寂しさが渦巻いていた…そういう風に思うのは実は渥美さんの思うツボなんじゃないかなという気もします。素直に渥美さんは人間の存在の悲しさや寂しいものを抱えていたんだと詠みたくなるけど、それは渥美さんの罠なんだ、と。
着ぶくれた乞食 じっとみているプール
倍賞さんも挙げられていたこの句、僕もわりあい好きです。乞食に代わって渥美さん本人がプールをじっとみているという風に、渥美さんの姿を乞食にはめ込んでみてもいいし、身を窶した乞食がじっとみていることに心動かされている渥美さんがいるとみてもいい。どちらの見方もできるわけです。僕は、渥美さんが自分を飾ったり、隠したりするために詠んだ句ではない気がするんです。自己を露呈しているんだけど、巧みに隠して…でもきっとどこかに自分自身が出てしまっているって感じかなぁ。俳句のような短詩形は隠れている部分が多いから面白いですね。渥美さんは自由律もうまく生かしている。
ひとつの画に時間と力をかけて
俳句を乗せている画面ひとつひとつがとてもきれいでした。まったく手抜きが無く、感心しました。
渥美さんの俳句が見ている人たちに届くような画にしたいと力を込めました。俳句の画はロケの後半で撮ったのですが、インタビューを撮っていく中で、俳句を取り上げる事の重大さに気づいて、中途半端な映像の上に、渥美さんの俳句を乗せたら、番組としてアンバランスになってしまう。俳句に失礼だと思ったんです。絶対の信頼を寄せている夏海、水野の両カメラマンがきちっと画として成立させてくれました。
げじげじにもある うぬぼれ 生きること
この俳句は、完プロした後に、正岡が調べなおしたら、撮っていたゲジゲジは一般的なそれではないと分かって慌てました。ぐんま昆虫の森に電話をしてゲジゲジを確保してもらうように頼み、すぐ車を走らせ撮りに行きました。蛙の画、蛍の画、秋桜の画…、いつもは見かける虫もいざ撮ろうとするといませんし、秋桜も咲いている時期じゃなかったので、正岡が撮りたい画をすべてクリアさせるまで眠れない日々が続きました。
ご苦労されたことが映像をみてよくわかります。照明もきっちりしていて、いいです。私もドラマの撮影で実景を撮ったりするけど、なかなかこんな風に時間をかけて作り込めない。これはすばらしいな、と思うと同時に自分自身反省しちゃいましたよ。出演者のインタビューの内容に合わせて、映画『男はつらいよ』のフィルム映像が効果的に使われていました。映像を借用するのは大変でしたでしょう?
『男はつらいよ』のフィルムを持っている松竹さんとはこれまでもお付き合いがありました。昨年も『拝啓 高倉健様』という番組を作ったんですが、そのときにもお話を聞いたり、映像を借りたりしていたので、今回も協力いただけました。先ほどの浅丘さんが大好きな寅さんのシーンも視聴者には是非見せたいですから。
映像を借りること一つとっても、なかなか簡単なことではないです。信頼関係があればこそですね。これまでのかわうそ商会さんの仕事の実績のおかげですよ。
内面の複雑さを描いた大人の番組
この作品は、単に渥美清の意外な一面といったところにとどまらず、この素顔の見えにくい人物の内面の複雑さを描き出して、まさに大人の番組に仕上がっている。難解な句、鑑賞がむずかしい句、それを丁寧にすくいあげている。そこがすごいなぁと。堂々たる番組ですね。
今回、山田洋次監督からも評価していただき、渥美さんのご遺族も、良い番組だったとおっしゃっていたと、伝わってきました。制作者冥利に尽きます。いつも作った後に、だいたい物足りなさや悔いのほうが大きいのですが、この番組に関しては、作りたいものがある程度できた、という手応えがありました。でもその反面、作っていく中で、自分が思いもよらない所に連れて行かれたって感じもしているんです。なかなかそんな思いになる番組はそうはないです。
最優秀賞は、満場一致でした。私たちも、この素敵な作品に出会えたことを喜んでいます。
今、プロダクションを取り巻く状況はとても厳しいです。企画を通すのも大変だし、通っても予算も思うようにならないですし、いつも必死の思いでやっているので、こういう形で報われて良かったです。仕事でうまくいかないことが続いて、へこんでいる時だったので、とても元気になりました。
改めておめでとうございます。次回作も楽しみにしています。
プロフィール
後藤 沙希 さん (ごとう さき)
立教大学文学部在学中に講師をしていた正岡の授業を受けるも、テレビ業界には就職せず、卒業後、一般企業に就職。営業マンとして約2年間勤務。その後、2009年、かわうそ商会に入社、弟子入り。2013年、NHK総合「課外授業ようこそ先輩~ロボット学者・古田貴之編~」でディレクターデビュー。2014年NHKBSプレミアム「青春ブレイクスルー壇蜜編」でプロデューサーを担当。以来、ディレクターとプロデューサーの二足のわらじをはいている。
正岡 裕之 さん (まさおか ひろゆき)
1958年高知県生まれ。4歳から大阪で育つ。中学、高校時代は映画と文学三昧の日々。高校卒業後沖縄や北海道を転々とした末、20歳で喫茶店を開業。映画制作資金を作るつもりだったが、3年で潰れ、20代は借金返しに費やした。しかし、映画への夢断ち難く、32歳にして日本映画学校に入学。卒業後新藤兼人監督に師事。その後、縁あってフリーのディレクターに。39歳でATP賞新人賞を受賞。1999年には国際エミー賞受賞。何とかテレビで食っていけるようになった。2006年にかわうそ商会設立、現在に至る。