インタビュー
第44回「日本賞」教育コンテンツ国際コンクール【企画部門】 最優秀賞企画
『A Letter to Jejara』 受賞リポート
NHKが主催する第44回「日本賞」教育コンテンツ国際コンクールの各受賞作品が10月18日、東京で発表・表彰されました。企画部門には、22の国・地域から43企画の応募があり、最終選考に残った5企画の中から、ミャンマーの”A Letter to Jejara” (PS Films Production)が最優秀企画に与えられる放送文化基金賞(賞金10,000ドル)を受賞しました。
企画部門は、予算や機材などの条件が十分でないために番組制作が困難な国・地域の放送局や制作プロダクションなどの優秀なテレビ番組企画を表彰し、番組として完成させることを目的としています。
今回最優秀賞に輝いた企画は、ミャンマーで、親の離婚により孤児となった14歳の尼僧である少女が、国で最初の尼僧医師になりたいと強く願い、高等教育を求めて立ち上がり奮闘する姿を描くドキュメンタリーです。この物語は、皆平等に生まれてくるはずの子どもたちの教育を受ける機会が限られていることに対し、視聴者に疑問を投げかけます。
授賞式では、プロダクション代表のセイン・リアン・トゥン/Sein Lyan TUN氏に、放送文化基金の末松安晴理事長よりトロフィーが贈られました。トゥン氏は、「今、教育改革の必要性を信じているのは私だけではない。ここにいる皆さんは、私と、教育を変えるための私の活動を信じてくださるのだと実感しています」と、感謝の言葉を述べました。
トゥン氏によると、Jejaraはミャンマーの民族語で、「平和な生活を望み、何かをしようという熱い志を持つ人」を表します。彼は、長年子供の教育を研究し、専門的に携わる中で、常に自国の教育制度改革の必要性を考えてきました。この企画も、すべての子どもたちが、自分の夢に向かって邁進し、自分の未来を切り開くことができるようにとの願いが込められています。
Sein Lyan TUN(セイン・リアン・トゥン)氏へのインタビュー
Q)ドキュメンタリーのタイトルにある”Jejara”とは、どんな意味ですか?
A) Jejaraは、ミャンマーの一部地域で使われる民族語で、「平和な生活を望み、何かしたいという熱い志を持つ人々」のことです。すべての若者をこう呼ぶことにしました。これは、夢を持ち、常に冷静でありながら大志を抱く若者への手紙です。そこで、作品名を”A Letter to Jejara”に決めました。
Q)どんなきっかけで、このドキュメンタリーを制作しようと思ったのですか?
A) 私は常に、教育、子供の権利、児童虐待、人身売買等の問題に重点的に取り組んでいます。教育について言えば、ミャンマーの教育制度には改善を必要とする点がありますが、そうはいっても私一人では改革などできません。そこで、何か行動を起こすことによって、教育の脆弱性はどこにあるのか、問題に取り組むために何をなすべきか、何が欠けているのかを明らかにしようと考えてきました。このドキュメンタリーを通じて、ミャンマーの人々に、教育制度の問題点を指摘することができます。作品を見たミャンマーの人々は、「なるほど。ここを改善しなければならない。こうすることが必要だ」と思うでしょう。それが私の目標です。
Q)このドキュメンタリーのスタイルについてお話しください。
A) 映画とテレビ放送の二つのバージョンを考えています。これは教育的視点に基づく作品ですが、まずミャンマーの教育制度について知ってもらう必要があるので、そのために必要なリサーチ、撮影、インタビューを加えたものを制作します。もちろん主人公の気持ちに基づくドキュメンタリーなので、人物もしっかり見守ります。
Q)この物語の主人公であるエインドラは現在、僧院の学校にいるんですね。
A) 彼女がラングーン(ヤンゴン)に来たのは5歳のときで、それ以前は山岳地域の村に住んでいました。今は14歳か15歳です。現在は8年生で、これは中学校レベルです。9年生や10年生は高等教育レベルですが、僧院教育で受けられるのは中等レベルまでなので、それより高いレベルの教育を受けることはできません。そのため、エインドラや彼女の友人たちは高等教育レベルへの進学を希望しています。僧院では独学するしか方法がないからです。
Q)女子が大学に行くことは、男子より難しいですか?
A) 尼僧の場合は困難です。一生懸命勉強することができれば大学に行くことができますが、尼僧として仏法に従わなければならないので、とても大変です。
Q)この作品を放送し、広める計画についてお話しください。
A) 先ほどお話ししたように、映画とテレビ放送用の2バージョンを制作する予定なので、国内での上映とテレビ放送を両方行うことができます。また、各地で開催される映画祭や、学園祭に参加するなどして、さまざまな場所や学校で上映するつもりです。さらに、女性の権利や教育問題に取り組んでいるNGOやNPOとも協力します。
Q)映画制作者としてキャリアをスタートさせたきっかけは?
A) 映画をつくり始めたのは2014年です。最初に手がけたドキュメンタリーは、翌2015年のヒューマン・ライツ・ウォッチ国際映画祭で上映され、これがキャリアをスタートさせるきっかけになりました。その後、自分のプロジェクトを始動し、さまざまな場所を回って、さらに前進しました。
ディレクターとしての仕事は、私の熱い志であり好きな道でもあります。教育番組を手掛けるのは、かつて教育に携わっていたからです。作品の制作に取り組むとき、「これは自分が切望し、得意とする仕事なのだ」と認識できるのは、私の専門が教育だからです。メディアを教育ツールとして考えれば、どのように映画をつくるべきかを理解できます。このことが、教育を目的とするドキュメンタリー制作を始めるきっかけになりました。
Q)お若く見えますが、2015年以前もキャリアを積んでいらっしゃるのですよね。
A) キプロスで、メディアとデザインを学びました。その後、シンガポールに移住し、現地機関で働きました。主な仕事は、中学生と小学生のためのカウンセリング業務と彼らのワークショップの企画・実行でした。そこで約4年間働いた後、ミャンマーに帰国しました。
Q)授賞式に先立って日本賞主催のワークショップに参加しましたね。講師からどんなアドバイスを受けましたか?他の参加者からはどんな励ましや刺激を受けましたか?
A) 講師の今村さん(NHK)は、教育に関するビジョンを与えてくださり、また、受賞を競う他のファイナリストたちの企画を見ることができたので、さらにアイデアが浮かびました。皆さんが、それぞれの国で作品をどのように展開するのかも学ぶことができました。教育というのは、さまざまなアイデア、視点、内容を試すものです。私の国にも通じることなので、とても有意義な機会でした。
プレゼンテーションについては、何かをしたいという意欲を見せるよう助言を受けました。「何より重要なのは、単に優勝を目指すことではなく、内に秘めた本当にやりたいことなのだ。重要なのは印象だ。自分が進めていることに対する姿勢を審査員に伝えなさい。」と言われました。今村さんには、本当に感謝しています。
Q)エインドラの話に戻りますが、彼女には将来どうなってほしいですか?
A) これは私の将来ではありません。彼女の未来です。彼女の未来なのだから、彼女が自分の思いどおりに進むことができます。私は彼女を追うだけです。どのような決定であれ、彼女は固い決意を示しています。強い女の子ですから、良い判断をするでしょう。私は、彼女の人生には関与しません。彼女の欲するものを与えることもありません。それは度を超えた行動です。
Q)彼女は成功するでしょうか? 状況はかなり厳しいようですが。
A) どうでしょうね。たとえ成功できなくとも、将来りっぱな人物になれるでしょう。そう信じています。夢は叶えるためだけのものではなく、夢を持つことによってどんどん強くなれるのです。これが私のメッセージです。みんながそうなるよう望んでいます。