バーチャル放送資料館設立の夢
メディアと古典芸能研究会 代表 (椙山女学園大学 教授)
飯塚 恵理人
寄稿
2015年はNHK放送センターの前身である東京中央放送局(JOAK)が、1925年3月22日に東京都港区芝浦の仮送信所でラジオの仮放送を開始してから90年目にあたる。放送は芸能・音楽・演劇の担い手も愛好者も大きく変え、新しい文化を創造した。私がそれに気づいたのは10年程前、古典芸能の研究者が集まり、近代になって身分階級と芸能との結びつきが薄れたのはなぜかと議論している時だったように思う。
ラジオ放送の開始まで、芸能にも音楽にも「見られる場所」と「入場料」の縛りがあった。例えば能は格式ある能楽堂で、升席や年間回数券を買うことが出来る富裕層や有閑階級が観るものであり、浪花節や漫才は下町にある寄席に行く肉体労働者が観るものと、どの芸能のジャンルについても愛好者と担い手の階級との結び付きは強かった。また地方の人が東京や大阪の芸に触れることはなかった。
ラジオ放送が始まり、機器を持ち月額の聴取料を払えばいつでもどこでも誰でも番組として謡曲や浪花節が聞けるようになった。これによって有閑階級の浪花節や落語ファン、資産を持たない無産者の謡曲ファンが生まれた。また、地方に住みながら東京や大阪の家元・高弟の芸を鑑賞することが可能になった。時代が進むとこれらの階級を越えた「大衆」に、実際に芸能を鑑賞したいという欲求が強くなり、各地に「公会堂」が作られ、椅子による一人席や一回限定の入場券によって放送に出演する名人の芸を鑑賞する「名人会」がその地域の多くの観客を集め、レベルの高い芸に接する機会が増えた。謡曲の場合、ラジオ放送が始まると東京在住の観世宗家観世左近の声を聴いた名古屋在住のファンが彼のレコードを聴いて稽古したり、左近の元で修行した能楽師に付いて稽古することが普通になり、愛知県独特の観世流の謡い方が観世宗家の節に統一されていく。これもラジオ放送の影響であることは間違いないと思う。
放送の「階級を越えて芸を全国に届ける」という性質は芸の質にも影響を与え、放送時間に合わせた筝曲や長唄・尺八・新民謡・小唄などの新作が盛んに作られた。落語・漫才・浪花節・講談なども、従来は一席が一時間を越えるような長い演目が大半だったが、「放送時間に収まる」「聴かせどころ」を中心にした芸へ変化した。また放送開始以前の民謡・長唄の歌詞には猥雑な言葉や不道徳な内容も少なからずあったが、放送の際には「子どもも大人も聴く。家族で聴く。」という性格から、それらの歌詞は直接的な表現を避けた上品な歌詞に書き換えられ、市丸や赤坂小梅・小唄勝太郎などの芸妓出身の歌手によって歌われてヒットした。現在、「粋である」とか「江戸情緒を感じさせる」と評価される長唄・端唄・小唄なども、江戸時代の言葉そのものではなくラジオ放送によって書き改められ広められて、「粋」で「江戸情緒」を感じさせる芸に昇華したと考えるべきだろう。
ラジオ放送以前には能・歌舞伎・筝曲・長唄・浪花節・民謡などは、担い手も愛好者も、階級・地域が全く異なる没交渉のジャンルだった。ラジオ放送が始まりこれらのジャンルの芸能は放送に適する形に変化して、一つの「古典芸能」というジャンルにまとめられたのである。それまで「日本の古典芸能」と私達が今日呼んでいる概念はなかった。「古典芸能」の普及・成立と、担い手・愛好者の変化、特に歌手・役者などの実演家の社会的地位の向上が「放送文化」による創造であることは疑いない。さらに昭和26年以降の民間放送の設立は、民放が設立された土地の風物・芸能をその地域の人々と全国の人々に知らせるのに大きく貢献し、戦後、「古典芸能」は「家元制度」によって支えられる「伝統芸能」と土地の神社や寺院などで伝承される「民俗芸能」とに分けて研究されるようになる。自分の住む土地の芸能が全国に知られることによりその価値を再認識し、永続のために「保存会」などを発足させたり、放送を契機に猥雑な歌詞を改めるなどのきっかけにも放送は大きく貢献した。
放送局は番組を作成するために膨大な取材をしてその一部を放送した。取材メモや写真・録音・録画など、その多くは番組制作に関わった人の手元に残されるか処分された。また番組の放送台本や音源なども昭和50年代初頭までは保存されることなく処分されたことが多い。放送が芸能をどのように変えて視聴者に伝えたのかということを実証的に研究するためには、番組制作者の取材メモ・録音・放送局に持ち込まれたレコード・放送台本などの一次資料を、失われる前にアーカイブ化することが重要な研究基盤の整理となる。メディアと古典芸能研究会は、これらを収集・整理・デジタルデータ化して、代表の勤務校である名古屋の椙山女学園大学と会員の大山範子先生が所属する神戸女子大学古典芸能研究センターに設置したハードディスクに保管している。著作権の消滅した資料に関しては「椙山女学園大学飯塚研究室ホームページ」
https://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/
より適時配信している。放送文化基金を頂きデジタル化した資料で特にダウンロード回数も多く、放送開始以前と以後の芸能の変化の比較例としても役立っている一例として
「飯塚研究室所蔵レコード」
https://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/kenreco1.html
「関西のレコードコレクター辻山幸一氏の歌舞伎レコードのコレクション」
https://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/tujikabuki1.html
などがある。各地のラジオ局から戦前文化の番組を作成する際に、これら公開している音源の提供依頼を頂くこともある。
我々の研究会の会員には古典芸能の研究者だけでなく、元民放勤務の技術者も多くおられるので、対象を古典芸能に限定せず、広く放送の一次資料を収集している。将来は「放送資料博物館」が設立された時にそのモデルとなるようなバーチャル資料館をインターネット上に構築することを目的として、当面はラジオ放送の開始された1925年から放送局が番組資料のアーカイブに熱心ではなかった1970年代までの資料を主な収集対象としている。放送資料の多くが1970年代までに放送に関わった個人の元に所蔵されている現状、その方々の多くが高齢になられていることを考えると、これらの作業は急いで行う必要がある。
なおホームページより配信する資料については著作権に十分留意しているが、放送資料には多くの権利があるため、あるいは気づかないで配信してしまっているものがあるかもしれない。そのような事例は教えていただければすぐに閲覧を会員内に制限したいので教えて頂きたい。連絡先は以下の通りである。
メディアと古典芸能研究会 代表 飯塚恵理人
〒464-8662 名古屋市千種区星が丘元町17-3 椙山女学園大学
Tel:052-781-1186(呼)、Fax:052-781-6651(「椙山女学園大学文化情報学部共同研究室飯塚宛」と記入お願いします)
メール:eritodagane@gmail.com(問い合わせ内容を件名に記入下さい)
・人文社会・文化 助成
平成25年度「昭和20~30年代前半の民放草創期放送音源等放送資料の収集保存とデジタルアーカイブ化」
メディアと古典芸能研究会 代表 飯塚 恵理人(椙山女学園大学 教授)