中海テレビ放送に行ってきました!
レポート
2019年7月18日(木)に、私は、鳥取県米子市のケーブルテレビ局、中海(ちゅうかい)テレビ放送(以下中海テレビ)に行ってきました。この中海テレビは、第45回放送文化基金賞の放送文化部門を受賞された髙橋孝之氏が会長を務めています。その髙橋氏へ放送文化部門の河野審査委員長が、放送文化基金報の取材をするということで、同行させていただきました。
皆さんは、米子というと何を思い浮かべるでしょうか?私は、鳥取については、ゲゲゲの鬼太郎、鳥取砂丘、梨と思い浮かぶのですが、米子となると、初めて訪れた地ということもあり・・・?でした。それが、今回の取材同行で大きく変わりました。米子には、地元の方から愛されているケーブルテレビ局と美しい湖がありました!では、その魅力をレポートしていきたいと思います。
【他のケーブルテレビ局と何が違う!?】
中海テレビは、鳥取県西部をエリアとするケーブルテレビ局で、昨年で開局30年を迎えました。髙橋氏は、その設立の中心メンバーの一人です。
中海テレビは、他のケーブルテレビ局とは少し違っています。その特徴として、まず、6チャンネルもある多彩な自主制作チャンネルが挙げられます。その一つに、毎日30分間、夕方とお昼に生放送でニュースを届けているチャンネル「コムコムスタジオ」があります。このニュースはリピート放送されているので、視聴者はいつでも最新のニュースを知ることができます。
実際に、報道フロアを見学させていただきました。そのフロアに足を踏み入れた瞬間、私は圧倒されました。ちょうど夕方6時からのニュースを作っているところで緊張感が漂っていたこともありますが、記者が編集機器を一人一台持っているのです。これは、取材から撮影、編集、原稿作成、ナレーションまでを全て一人で担当するビデオジャーナリスト方式のためです。一人で担当することにより、取材相手と密接な関係を築くことができ、より深いインタビューがしやすくなるそうです。更に、中海テレビでは、各記者が1つのエリアを長期的に担当しているため、より厚い信頼感が生まれるといいます。こうしてできたニュースは、地域の課題解決へと繋がり、住民からの支持を得ています。これにより、記者のモチベーションは上がり、更に次の良いニュースへと繋がる好循環を生み出していると感じました。
【市民のチャンネルとは】
また、2つ目の特徴として、「パブリック・アクセス・チャンネル」があります。「メディアを市民の手に取り戻そう」というスローガンのもと、1992年に設置された地域住民が運営する専門チャンネルです。SNSがなかった時代に自ら発信できるチャンネルというのは、新鮮で斬新に映ったと思います。この市民のチャンネルにより、住民にとって中海テレビがより身近な存在となったに違いありません。
【10年で中海の再生に成功!】
今回の取材同行で私が一番印象的だったのは、「ケーブルテレビは目的ではなく、手段」という髙橋氏の言葉です。住民とのつなぎ役になり、放送というもので地域をバックアップしていく、と熱く語っておられました。
その一つが「中海再生プロジェクト」です。この中海(なかうみ)は、鳥取県と島根県にまたがる汽水湖で、中海テレビの社名の由来でもあります。“なかうみ”と読みますが、社名は“ちゅうかい”と読みます。これは、地域の住民同士を“仲介(ちゅうかい)する”という意味を込めてのことだそうです。実際に中海を目にすると、日本の湖で5番目の面積を誇るという大きさに驚くと同時に、潮の香りと穏やかな波に包まれた美しい湖でした。そんな中海は、10年以上前は今とは比べ物にならない程、淀んでいたといいます。髙橋氏が子供の頃は、泳げるほどきれいだった湖は、いつのまにか住民も目をそらせるほど汚染されていました。それを「住民と共に浄化して後世に誇れる中海にしよう」との企画から「中海物語」という月に1度の特集番組を始めました。その番組に、ゲスト出演していた中海の環境問題に取り組む市民団体やボランティアグループ、行政担当者などが番組を通して一致団結し、「10年後に泳げる中海にしよう」との目標を掲げ、「中海再生プロジェクト」を立ち上げました。この運動は、行政をも動かし、清掃活動も活発化し、今では、オリンピック競技でもある“オープンウォータースイム”の大会を開催できるまでに水質が改善しました。まさに、中海テレビが中心となり、無関心だった視聴者や行政の意識を変え、中海の浄化という目標を達成し、結果的に地域活性化に繋がったのです。
【受け継がれる想い】
最後に、髙橋氏は「ケーブルテレビでしかできないこと、ケーブルテレビでこそできることを当たり前にやっていく」と語っておられました。
それは“放送が好き”という純粋な気持ちから始まった中海テレビの根幹であると思いました。現場の皆さんを交えた懇親会の場で、若手記者の皆さんとお話する機会があり、溢れんばかりの情熱を目の当たりにし、髙橋氏の熱い想いは確実に受け継がれていっていると感じました。
次に中海テレビが何を仕掛けていくのか、それによって米子がどのように変化していくのか、ますます目が離せません。私の米子といえば・・・は、中海テレビとその名の由来にもなっている中海になりました。