昨年のクリスマス前から今年の正月を越えて1月中旬迄、NHKのドキュメンタリー番組の撮影でハイチ共和国に行った。ハイチは今年独立200年、南北アメリカ大陸でアメリカ合衆国に次いで2番目に早く独立を勝ち取った国である。
私がハイチを訪れるのは今度で4回目だ。最初は10年前、NHKの番組「僕たちはあきらめない〜混迷のハイチと子供たち〜」の撮影だった。軍事独裁政権が倒れ国連の庇護のもと、アリスティード大統領が復活した時期であった。貧困と混乱の中で、逞しく生きるストリートチルドレン達を追った。当時の主人公エリックとエリクソンの双子の兄弟も今は22歳の青年となり、エリクソンには昨年の12月に息子が誕生した。ディレクターの五十嵐久美子はこの10年の間、彼らとのコンタクトを絶やすことは無かった。その間に、私たちはCSの番組でも彼らを取材している。今回、彼らの現在と過去をもう一度見つめ直し、世界の最貧国の一つ、ハイチが抱える根源的な問題に少しでも迫れればという思いがあった。それは地球規模での圧倒的な貧富の格差という現実に目を向けるということだろう。
私と放送との関わりはカメラマンとして始り、カメラマンとして終ると思っている。初めてテレビジョンと出会った少年時代、テレビジョンとは、まさに「遠くのものを見せてくれる道具」だった。映画が好きでカメラマンを目指し、ドキュメンタリーに惹かれ、気が付いたらテレビジョンの世界にどっぷり漬かっていた。だから放送人という自覚も無いし、放送文化をまともに考えたことも無かった。ただ、遠くの出来事を遠くに送って見せるテレビジョンにカメラマンとしての愛着が強い。
今のテレビには「日本人の大多数が知りたがる筈」という情報で溢れている。だから大量のイラク報道番組の中でイラク国民一人一人の痛みを伝えるものも多少あるのだが「イラク問題は日本の国益」として論じられる流れに押し潰されているようだ。
”遠く”とは”知られざる”という意味でもあろう。テレビジョンは「日本人の多くが知らない世界」を伝えるための道具でもあった筈だ。「知りたいこと」より「知らないこと」を伝えることも放送の義務であろう。カメラマンとして「知って欲しいこと」を探すのが仕事と思っている。ただ、カメラは目の前のことしか写せない。自らが現場に立って、レンズを向けたものしか写らないのがカメラだ。だから撮られた映像は決して普遍的なことでも、一般的なものでも無く、具体的で、固有な世界なのだと思っている。クイズのための知識や、生活のための知恵がテレビに溢れているが、私は生きている人間としての実感にこだわり、対象のディテールを見つめ続けたいと思っている。
多チャンネル化が益々進む状況が番組の均一化ではなく多様化に向かい、私のようなカメラマンの場が拡がることを望むのだが・・・
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