HBF 公益財団法人 放送文化基金

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読む・楽しむ 放送文化基金賞特集
放送文化基金賞の受賞者へのインタビュー、対談、寄稿文などを掲載します。

2014年9月30日
第40回放送文化基金賞

座談会

ラジオ番組 [本賞・出演者賞・優秀賞]

地域でこそ生きるラジオ
~北日本放送の新たな試み~

土肥尚彦 柴田明夫 佐伯和歌子 / 﨑元利樹


ラジオスタジオにて

 今回のラジオ番組部門では、富山県の北日本放送が、「In My Life ~介護の仕事と ビートルズと~」で最優秀賞と出演者賞(川手照子さん)、「西村雅彦監督ラジオドラマ『立山に想ふ 遠き日の約束』」で優秀賞を受賞という快挙を遂げた。ローカル放送局のラジオ経営が全国的に厳しい状況に置かれている現在、北日本放送がどのような取り組みをしているのかを確かめるため、放送文化基金の﨑元利樹専務理事が北日本放送を訪れ、両受賞番組の制作統括の土肥尚彦さん、「立山に想ふ」ディレクター・編集の柴田明夫さん、「In My Life」構成・演出・ナレーションの佐伯和歌子さんに話を聞いた。

﨑元 利樹
(さきもと としき)

放送文化基金 専務理事

土肥 尚彦さん
(どい たかひろ)

北日本放送 報道制作部長(制作担当)

柴田 明夫さん
(しばた あきお)

北日本放送 報道制作部次長

佐伯 和歌子さん
(さえき わかこ)

北日本放送 報道制作部(ラジオ)ディレクター 〈所属〉ケイエヌビィ・イー

﨑元

 ラジオ番組部門で最優秀賞と優秀賞の二つの受賞、本当におめでとうございます。このような素晴らしい作品を応募してくださったことに感謝しています。

土肥

 今年、一番嬉しい出来事でした。

KNBラジオ、みんなで実験中

﨑元

 一つのローカル放送局が一つの部門で最優秀賞、優秀賞という二つの賞を一度に受賞されるということは、これまでの放送文化基金賞の歴史の中でもなかったことです。そこで、今回、実際にどのような取り組みをされているのかをこの目で見ようと訪問させて頂きました。まず、初めに、北日本放送にとって、ラジオ放送というのはどのようなものなのでしょうか。

土肥

 北日本放送はラジオとテレビの兼営局ですが、ラジオの経営に限って言えば大変苦しいのが現状です。国内のラジオの広告費は年々下降線の一途を辿っており、全国のラジオ放送局が同じ状況にあると思います。しかし、それは果たして“やるべきことを全てやり尽くしている”結果なのか、社員全員で考えてみようという呼びかけが横山社長からありました。その流れの中で、まず昨年の3月に、それまで同じ報道制作部でありながら別々のフロアでほとんど交流のなかったラジオ担当とテレビ担当のデスクを同じフロアに置き、一緒に仕事をすることにしました。ラジオもテレビも一つになって考えようという試みです。そして、昨年には、「ラジオ検討会」というものを立ち上げ、制作・営業・編成・技術など各部署から現場の人間が集まり、“とにかく頑張る”という前提ではなく、コスト削減なども含めて自分たちがどうしたいのかを徹底的に話し合いました。その中で、ラジオはテレビにとっての足枷などではなく、むしろラジオが果たしている目に見えない役割があるんじゃないか、そこに活路を見出そうという声があがり、今、様々な実験を試みているところなんです。北日本放送は元々ラジオ局としてスタートした歴史があります。その伝統と矜持を忘れずに、ラジオと向き合っていこうと奮闘しているところです。

想像力でリスナーと繋がる

﨑元

 そういう動きの中で、今回の受賞した作品が生み出されたわけですね。『In My Life』は、今振り返ると、どんな番組でしたか。

佐伯

 リスナーさんと、川手さんの発するメッセージが繋がった感覚がすごくありました。

土肥

 『In My Life』はラジオの強さがとても活かせた番組だと思っています。それは、音楽的であることだけでなく、映像がないからこそじっくりと言葉の大切さを表現し、川手さんの魅力を引き出している。私はずっとテレビ屋で、テレビの番組しか作ったことがなく、ラジオを担当するようになったのは去年からなんですが、実際テレビで同じことをやろうとしてもうまくいかないんですね。テレビは画があるので、正直言ってゆっくりインタビューを聴かせることから逃げてしまうこともあるんですが、ラジオは人間の声と音という限られた中でどう表現していくかにじっくり取り組める。また、テレビは画面を見ないと情報をインプット出来ませんが、ラジオは、耳だけでそれが出来る。私はこの番組に、音だけで聴いてもらえるメディアの可能性をすごく感じました。

﨑元

 おっしゃるように、テレビは映像ですから人の表情も一目瞭然ですが、ラジオの場合は、声だけを聴いて、今この人はどんな表情なのかということを想像する。それは受け取る側のセンサーによって大きくも小さくもなる。『In My Life』はそういうことを強く感じさせる力があったと思います。

佐伯

 私はずっとラジオ一筋で、普段は朝のワイド番組を週3日担当しています。その中で、毎日100通ぐらいのリスナーの方からのメッセージを読みながら、送り主がどんなふうに生活されているのかと想像力を膨らませるんです。私がここに来てから9年、そういう訓練をしてきたことが、もしかしたら『In My Life』という番組に活かされたのではないかと思います。私の作った番組を想像力という余白の部分で聴いていただけたのかな、そこでリスナーの方と繋がることが出来たのかなと感じています。

﨑元

 余白の部分が心の中に広がっていくというのがラジオ特有の魅力なのかもしれませんね。その魅力を十分に発揮した番組だったと思います。川手さんとはどのように出会われたのですか。

佐伯

 川手さんが自主制作されたCDを全国販売することになり、ワイド番組にゲストで出て頂いたんです。そこで、絶対この人で番組を作りたいと一目惚れしてしまって、その日のうちに上司や先輩を巻き込んで説得して、制作をスタートさせました。そういう意味では、ワイドが生命線です。制作者としても、ワイド番組でリスナーの方にすごく育ててもらっているなと感じています。

地元の人達とつくるラジオドラマ

﨑元

 次に、『立山に想ふ』についてお聞きします。あの企画はどのように始まったのですか。

土肥

 元々は、富山出身の俳優・西村雅彦さんから、「ラジオでレギュラーのミニドラマをやりたい」という相談を受けたのが始まりです。西村さんは、元々役者仲間でもある所属事務所の井口敦社長、マネージャーの大木玉樹さんと共に、全国各地で素人さんを対象にしたワークショップを開催してラジオドラマや演劇を作る活動をしておられます。それを地元である富山でやって、ふるさとを元気にしたいという熱い思いを聞き、これは何か出来ないか、と考えました。ただ、西村さんのような大物俳優を起用したラジオドラマで収支を成り立たせるのはローカルラジオでは大変難しいことです。そこで、レギュラーではなく特番で何とか一度やらせてください、ということになったんです。そこで、西村さんのやりたいことと、私たちが出来ることを近づけていくために色んな工夫をしました。まず、ラジオの特番と言ってもなかなか聴いてもらえないので、テレビの力も最大限に生かそうということになり、「西村雅彦と作るラジオドラマ」と「それを追ったテレビドキュメンタリー」を同時に制作することにしました。ラジオドラマを聴いてもらうためにメイキング番組も作る。裏の話をすれば、ラジオ番組だけでは成り立たないセールスをテレビ番組と組み合わせることによって成り立たせられないかという狙いもありました。

﨑元

 出演されていたのは、一般の方々ですよね。地元で演劇活動をされている方もいらっしゃる中で、なぜ素人さんを起用されたのでしょうか。

土肥

 知識や経験がなくてもこういうことが出来る、それがこんなに楽しいんだということを多くの人たちに知ってもらいたくて、演劇経験の有無を問わず参加してもらいました。

﨑元

 ある審査委員は、聴いている自分もあの番組に参加しているような印象を受けたと言っていました。素人の方だからこそ、ゼロからの経験として体験し、それが電波を通して聴く人に伝わる、そこが新鮮でした。ラジオドラマの新しい一つの方法、挑戦のように感じました。

柴田

 あのドラマはまさにこのスタジオで丸二日かけてみんなで一緒に収録しました。録音は、シナリオの頭からほぼ順番通りにしていったんです。それで、お聴きになるとわかると思いますが、最初のころのシーンは皆さんあまり上手くないんです。それを西村さんが一人一人に指導していきながら、段々に上手になっていった。それを参加したみんなが実感し、終わった時にはものすごく達成感があった。もしかしたら、そういう空気がセリフの中に入っていて、それが、聴いている方を参加しているような気持ちにさせたのかもしれないなと思いました。

﨑元

 この後も新たな展開があるのでしょうか。

土肥

 実は今、このラジオドラマ特番の第2弾を進行中です。新たなキャストも決まり、またこの夏にここに集まって西村監督のもと収録をする予定です。勿論テレビも同時進行で、キャストの取材に毎日出向いています。今回も個性豊かな地元の方々がたくさん参加してくれます。

﨑元

 このスタジオのスペースでドラマが出来てしまう。素人の方でも参加出来る。これもラジオならではの、テレビとは全く違う可能性に満ちた取り組みですね。

めざせ、ラジオに富山県民総出演!

でられディオ「でた!データカウンター」

プレゼント用の携帯ラジオ

土肥

 地元の方にラジオに参加してもらう、それが私たちの一番の目標なんです。初めにお話しした「ラジオ検討会」で、ここにいる柴田が提案したのが、“接触率”を上げようということでした。ここで言う“接触率”は、ラジオを聴いてもらうということは勿論、ラジオに出てもらう、ラジオに広告を出してもらうなど、ラジオに関わっていることを県民の皆さんに実感してもらうことを指します。それで、この4月から私たちがやっているのが「でられディオ」キャンペーンです。富山の方言で「でられぇ」と言うと「出てください」という意味になります。このスタジオに、でられディオの「でた!データカウンター」が設置されています。北日本放送のラジオに出てくださった人の人数をカウントしていくんです。また、出た方にはKNBの小型の携帯ラジオをプレゼントしています。今回のラジオドラマが放送されるとカウンターも出演者の分だけ増えるんです。

柴田

 富山地区では数年前から聴取率を取っていません。ラジオのパワーを測る指針は、今は売上しかなく、売上がどんどん落ちているから、ラジオは弱いと考えてしまう。ラジオ検討会の中でも色々話し合ったんですが、売上を上げる手立てが見つからなくて、そこを追っても未来は見えないので、発想を変えて考えたのが“接触率”です。くだけた表現をすると、富山県民110万人の誰もがラジオに出たことがあるという状況を作りたいんです。例えば、日本テレビ系列で『秘密のケンミンshow』という番組がありますが、そこで、富山県で県民の誰に聞いても、「私はラジオに出たことがある」ということになったら、それはすごいことになるんじゃないかと。目標なのか夢なのか、何十年かかるかわかりませんが、みんながラジオに出るということに“接触率”という名前をつけて、それを上げることを目指していこうと検討会の意見が一致して、この「でられディオ」というのが出来たんです。

﨑元

 すでにカウンターの数字は2025ですね。こういう地道な取り組みが、北日本放送の底力になっていくのでしょう。

土肥

 ラジオの広告費が落ちてきている一方、この富山でラジオにかかわっていて、ラジオの影響力が落ちてきたという実感はあまりないんですね。ラジオは地域でこそ生きるメディアだと思います。広告費は中央でつくられた大きな流れに地方も影響されますが、それでは測れない、地域ならではのラジオの力をみんなに実感してもらいたい、という願いがこのキャンペーンに込められています。

柴田

 私たちはこれまでも地域の方とのコミュニケーションをとても大事にしてきましたが、今回のキャンペーンでは、さらに一歩、こちらから地域のみなさんの方に積極的に歩み寄ろうということも目標にしています。

小学生が出たくなる仕掛け“ビバ!クイズ”

﨑元

 若い人たちのラジオ離れが顕著ですが、そこはいかがですか。

柴田

 毎週、午後のワイド番組『でるラジ』の中で、「洋太のでるラジ小学校、ラジオでビバ!クイズ」というコーナーを15分間やっています。県内の小学校の給食時間にお邪魔し、そこでクイズ大会をやって生中継すると同時に校内放送で全校生徒に聴いてもらっています。さらに、それを収録して日曜の朝に再放送しています。『ビバ!クイズ』というのは、北日本放送で1970年代から90年代初め頃まで毎日夕方のテレビニュースの前に15分間放送されていた県内の小学生が出場するクイズ番組です。この番組は、ある年代以上の富山県民なら知らない人はいないというほど浸透していたんです。そこで、今の子どもたちにも地元の放送局にオンエアされる楽しさというものを味わってもらいたい、というのがコンセプトですね。

土肥

 若い人がラジオを“聴いてくれない”と嘆いていても事態は変わらないので、ラジオを、まずは“出たい”ものにしようという発想です。“出たい”という動機でラジオというものを知ってもらえるし、生放送の後で再放送もしているので、自分たちが出たものを今度はラジオで聴くという行為を通じて、ラジオというメディアを子どもたちに実感してもらえる一つのきっかけになるんじゃないかと考えています。今の子どもたちは、ラジオそのものを知らない子もいますから。

﨑元

 手応えはどうですか。

柴田

 テレビでも“ビバ!クイズ参加者募集”というスポットを打っていまして、3か月間半やってきましたが、最近では子どもたちが校長先生に直談判しているようで、うちの児童があのクイズに出たいと言っていると、北日本放送に問い合わせも来るようになりました。

課題はラジオパワーの可視化

﨑元

 確かな手応えがあるということだと思いますが、更なる課題もあるんでしょうか。

土肥

 ラジオの、形になって見えにくい力というのをちゃんと見えるものにしていくということは今の課題だと思っています。今年の初めにビデオリサーチが行った富山県民放のテレビステーションイメージ調査というのがありまして、全部の年代と項目で、幸い北日本放送がトップになりました。その中の「地域に密着している」という項目で、82.1%と出ていて、この調査を色んなところでやっているビデオリサーチの担当者もこんな数字は見たことがないそうです。また、今年の4月のテレビの個人視聴率の結果を見ると、1つ(4~12歳男女の全日)を除いて全ての時間帯、年齢層で一番になっています。そこで、これは果たしてテレビだけの力なのかというと、そうじゃなくて、ラジオがあるということによって、潜在的な北日本放送のファンがたくさんいらっしゃるからこその結果だと思っているんです。そういうことが今までは表立って形や数字になって出てこなかった。でも実態としては、ラジオの影響力がこれだけあるんだということを、この「でられディオ」キャンペーンを通して見える形に持って行きたいと思っています。

親戚のおじさん・おばさんのようなラジオ局

佐伯

 今年の4月から、朝のワイド番組のオープニングに、局舎の前でアナウンサー二人が中継するようになり、呼びかけたわけでもないのに、毎朝平均して6人、多い時は30人近く、地域の方が来てくださるんです。いつもラジオを聴いていて実際にアナウンサーに会いたくて、とか、子どもが生まれたから、とか。

﨑元

 ラジオだから自分が映るわけではないんですよね。

佐伯

 そうなんです。ある時びっくりしたのは、オープニングでマイクを向けてお話ししてくださったお父さんが、その二日後に亡くなられたんですね。二週間後、「あれが最後の声だったんだよね」と、家族みなさんでまた来てくださったんです。ラジオが身近な親戚のおじさん・おばさんみたいな存在なのかなと感じました。

土肥

 私たちは、どんな放送コンテンツを出すかということ以上に、地域の人たちとどういうコミュニケーションが出来るかの方がずっと大事だと思っています。それはテレビも勿論ですが、特にラジオは、より地域の人たちとのコミュニケーションが細かく出来るメディアなので、そういう良さをどこまで生かしていけるかが、その地域のラジオが生き残っていけるかの指針になると思います。放送を通じて出来るだけ多くの県民とコミュニケーションが出来るメディアを目指していきたいです。

﨑元

 ラジオは地域でこそ生きるとのことですが、今回のお話を伺って、それを実践されているみなさんの毎日の努力をつぶさに拝見することが出来ました。北日本放送の取り組みが、地域ラジオ局の新たな時代への飛躍につながることを期待しています。

横山 哲夫 さん(よこやま てつお)
北日本放送 代表取締役社長
 「ラジオから考える」をキーワードに、先頭に立ってKNBのラジオ部門の強化を推進中。今年の年頭訓辞では、「北日本放送がラジオ局だった時代、自由闊達でパイオニア精神とチャレンジ精神に満ちていた頃を思い出せば、ラジオを売上げのハンディーと捉えたり、テレビの下位に置いて当然と考える愚を自戒を含めて恥じなくてはならない」と全社員に呼びかけた。
 今回、私達を歓迎して座談会をしていたラジオスタジオに駆けつけ、自社の試みについて、熱くユーモアたっぷりに語る様子には、社員一人一人への愛情が溢れていた。

プロフィール

﨑元 利樹(さきもと としき)
放送文化基金 専務理事
1954年生まれ。早稲田大学法学部卒業。1978年NHK入局。長野放送局、報道局取材センター社会部、神戸放送局、仙台放送局、人事総務局労務・人事室、広報局長、大阪放送局長などを経て2013年6月から現職。

土肥 尚彦 さん(どい たかひろ)
北日本放送 報道制作部長(制作担当)
92年KNB入社。95年・97年民放連賞テレビ娯楽部門優秀賞。98年「12歳が描いた20世紀~ある小学校に残された1万枚の絵~」同テレビ教養部門最優秀賞。放送文化基金賞・同企画制作賞など。01年「えっ富山ちゃそーなんけ!? KNBアナの新年会2」放送文化基金賞エンタメ番組賞。09年より現職。

柴田 明夫 さん(しばた あきお)
北日本放送 報道制作部次長
91年KNB入社。ラジオ歴20年。04年「ラジオで夢を語ろう ぼくの夢私の夢」民放連賞ラジオ教養部門優秀賞。13年「とれたてワイド朝生!あなたは最期をどのように迎えたいですか」同ラジオ生ワイド部門優秀賞。14年「立山に想ふ 遠き日の約束」放送文化基金賞優秀賞など。現在、午後ワイド「でるラジ」など担当。

佐伯 和歌子 さん(さえき わかこ)
北日本放送 報道制作部(ラジオ)ディレクター 〈所属〉ケイエヌビィ・イー
76年富山県生まれ。06年ケイエヌビィ・イー入社。09年「青木新門が語る~もうひとつのおくりびと~」で文化庁芸術祭優秀賞、民放連賞ラジオ教養部門優秀賞。13年「In My Life~介護の仕事と ビートルズと~」で日本放送文化大賞、民放連賞ラジオエンタメ部門、放送文化基金賞それぞれ最高賞受賞。